昨年の総選挙の途中から、主に立民党に向けて野党共闘「口撃」が激しくなったが、リアルパワーを考えると、小選挙区での市民と野党の共闘の重要性は論を待たない。
私の住んでいる京都6区では野党統一候補は実現しなかったが、全国的レベルでの合意の精神で共産党は候補者を立てず、結果的に立民山井候補は自民、維新を抑えて当選した。妄想でもしない限り野党共闘の結果である。
自公の合計は減ったし、維新は希望とのすみ分け前に戻っただけだし、予想というか希望どおりには立民は伸びなかったが、絶望的な気分は不要だろう。
選挙後の「野党共闘失敗論」は、よく見れば体制維持の側から執拗に繰り返されているわけで、素直に判断すれば、それほど政権与党や「ゆ党」にとって脅威だったことになる。
そして、振り返れば、誰が「口撃」に動揺し、誰が約束(市民との協定)に誠実であったかということを示したが、そのことは腹にしまっておきたい。
ただ、情勢にふさわしい結果を残せなかったことも事実で、それらのことに関して東大本田由紀教授は、「平和、暮らし、ジェンダー、気候などの訴えが響かない人々、違うところに関心があったり、そういった訴えがきれいごとに思えるような層というのが、どっかり存在しているのは確かです」「野党は苦しい人たちには非常に優しいような政策を提言とかするけれども、そこまで苦しくはない自分たちに対して一体何をやってくれるんだみたいな声がありました」「野党側の政策は、理想としてはとても本当に素晴らしいのですが、表現の仕方、言葉遣いも含めて『守る』って言葉が多いのが気になりました」等々の見解を述べられている。2022年のお正月に宿題をいただいた気分でいる。
「口撃」→ぴったりの表現ですね
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