2021年2月2日火曜日

鬼の子は小さい

   今日は節分。でもって怖い鬼の話。
 「鬼の子は小さい」。そんなことわざはない。今しがた私の作った造語である。   さて『ことわざ辞典』には載っていないが広くいきわたっている「準ことわざ」に「小さく生んで大きく育てる」がある。

   実際の赤ちゃんの場合に使われるのを除くと、企業を立ち上げた場合などに「――――と申しますから」というような祝辞に使われる。しかし近頃では、どちらかというとこの言葉がマイナスイメージを帯び始めている。例えば国歌(君が代)に関する法律がある。

 国旗及び国歌に関する法律は1999年に制定されたが、その条文は、『1条 国旗は、日章旗とする。2条 国歌は、君が代とする。』という、ただただこれだけの極めて「小さな」ものだった。しかも、制定時の国会では「取り扱いは従前と変わらずただ成文化するだけだ」「強制するものではない」と政府は散々答えておきながら、ご承知のとおりその後、東京や大阪や各地の卒業式では教員に強制し、さらには処分までしてきている。

 そこで本題だが、1月20日に政府は「検察庁法と国家公務員法の改正を束ねた法案」を提出するとした。昨年大問題になった「検察幹部の特例的な定年延長」は含まないと報じられているが、果たしてそこに「小さな鬼の子ども」は含まれないだろうか。

 また、現時点での焦点でもある「コロナ特措法改正」でも、閣議決定時にあった「刑事罰」は撤回したものの「行政罰・過料」にすると与党は言っている。これも、この「行政罰という小さな子ども」が、保健所の業務を困難にさせ、感染者を水面下に潜らせる働きをするのは間違いないし、大きな鬼に育たない保証はどこにもない。

 とまれ、近頃「小さく生んで大きく育てる」は、為政者が悪法(条文)をこっそり潜ませて後に言葉を弄して強権を発動する「修飾のことわざ」となっている。実際に政府・与党からそのものずばりの言葉も聞こえてくる。

 「そんな小さなことを言うのは大人げない」とか「野党は何でも反対」というようなコメンテーターなる人々の発言もあるが、あえて言うと「大きく育ってからでは遅い」ことが多々ある。

 少し心配性気味に小さな火種を見つけて消しておくことが大切だ。「鬼の子は小さい」。

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