2021年2月11日木曜日

建国記念の日

   今日は建国記念の日という祝日である。なぜ今日がそうなのかというと、明治5(1872)年に、日本書紀に書かれている神武天皇の即位日『辛酉(しんゆう・かのととり)年春正月庚辰(かのとたつ)朔』を西暦の紀元前660年の旧暦1月1日『皇紀元年1月1日』と定めたからである。

 翌1873年は太陽暦に換算して1月29日に祭典を行ったが、計算が合わないとして1874年から2月11日を「紀元節」と定めたところに遠因がある。

 つまり、日本書紀によっても紀元前660年には何の根拠もなく、考古学的には縄文晩期にあたり、「国」と呼べるシステムの成立時期とは全く言えない虚構である。

 しかも、日本書紀登載の後の歴代天皇と紀元前660年を連結させるために、神武天皇は127歳、5代孝昭114歳、6代孝安137歳、以後128歳、116歳、111歳、119歳、139歳、143歳、107歳、と続き、仲哀、神功を経て応神111歳、仁徳143歳としたのである。(近頃話題のこの国のホンネとタテマエ、ダブルスタンダード、事実の改竄はあまりに根が深い)

 さらに、「そういう神話を持っている」というだけのことであれば物語としては許容できても、明治から昭和前半の政権はそれを「歴史的事実だ」として臣民に押し付け、故に現天皇を人ではない神の子孫、現人神(あらひとがみ)、そしてこの国を神国だと洗脳し、戦時体制に1銭5厘で投入していったのである。(ちょっと寄り道をすれば、女性蔑視発言で注目の森喜朗元首相がかつて「日本は神の国」と言ったのも、単に鎮守の森や神社のことではなく、このような文脈での「神国」発言であった故に許されないのである)

 歴史の改竄といえば、神話の世界とはいえ、神武天皇陵を、日本書紀は「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)といい、古事記は「畝火山之北方檮尾根上」と書いているのを、文久3(1863)年、孝明天皇は、記紀の記載とは異なる麓の小さな丘(円墳?)ミサンザイを神武天皇陵と決定したが、その謎は、もし記紀の記載に近い畝傍山の丸山とすれば、隣接している被差別部落である洞(ほうら)部落を移転させる時間的余裕がなかったためと考えられている。(その後の大正6年~10年ごろの洞部落強制移転問題は「橋のない川」にも出てくる)(神武天皇陵を見下ろす地の被差別部落の存在は恐れ多いこととされた)

 以上のような虚構につぐ虚構、改竄につぐ改竄を土台にして、15年戦争晩期の紀元(皇紀)2600年(昭和15年)に大拡張と大整備が行われた結果あるのが現在の神武天皇陵と橿原神宮である。そして2月11日なのである。

 つまり畝傍の地に見る現在の「建国の風景」は日本の原風景などではなく、近代昭和15年、軍国大日本帝国の風景であることに留意しなければならない。

 結論として、現実の諸条件を抜きにして神話を根拠に建国記念の日を定めることは一般論としてはありうる一案かもしれないが、2月11日のそれは明治から昭和前半の、外には侵略と内には人権無視のファシズムの手垢にまみれてしまっているので、現昭和憲法の精神に反することは明らかだ。それよりも平和憲法施行の日5月3日を、あえて制定するなら「建国記念の日」と考える方が好ましいと私は考える。

1 件のコメント:

  1.  日本書紀はなぜ神武天皇即位の年を「辛酉年」春正月庚辰朔としたのかについては、当時の東アジアの「常識」であった讖緯説(しんいせつ)に基づいていたのであろう。「十干十二支の辛酉の年には革命が起こる」「大事件が起こった年は辛酉の年に違いない」という古代中国の思想(哲学)である。
     嫌中国を唱えておられる少なくない右翼の皆さんが、古代中国思想を前提にした紀元前660年2月11日を礼賛されているのも皮肉なものである。ナショナリストを標榜しながら嬉々としてトランプに握手を求めるのだから所詮はそんなものなのだろう。

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