2021年2月4日木曜日

羊のこと

   テレビで、約40年前に放映された『シルクロード』の再放送を楽しく観ながら、アジア大陸で最もポピュラーで紀元前からの長い歴史のある家畜羊が、日本では単発的には大陸から到来したものの、本格的に飼われたのは近代に入ってからという、あまりの落差に少し可笑しかった。

   羊は、羊毛は衣服に、夏は乳を冬は肉を食料に、フェルトは住居に、糞は燃料に、皮は袋になったから、大きな羊、多くの羊は財産であった。ということで「羊に大と書いて美しいだ」と軽く考えていたが、関連して善という字を白川文字学に当たってみるとなかなか単純でないことが解って驚いた。

 善は、もとの字は譱(ぜん)に作り、羊と「キョウ」を組み合わせた形。羊は神判(神が裁く裁判)に用いる解廌(かいたい)とよばれる羊に似た神聖な獣。「キョウ」は両言。言は「サイ」(神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形)を置き、もし誓約を守らないときは、この針で入れ墨の刑罰を受けますと誓う神への誓いのことばである。「キョウ」は神判にあたって神に誓いをたてた原告と被告で、譱(ぜん)は原告と被告が解廌の前で審判を受け善否を決することを示す。譱(善)は解廌を中心に、原告・被告の誓いのことばをしるした字で、裁判用語であったが、のち神の意思ににかなうことを善といい、「よい、ただしい」の意味になる。また「すぐれる、たくみな、したしむ」などの意味に用いる。

 以上のようなことを、ラムチョップにクミンシードなどのスパイスをたっぷり振りかけて食べた夜に読んで感心した。
 昔、水野正好先生の講義を聞いて、つい先日卑弥呼に会ってきたかのように話すのが愉快だったが、白川静先生は、殷王や周公と語らってきたように思われる。

1 件のコメント:

  1.  2月4日付け朝日新聞朝刊の文化・文芸欄の「語る」というシリーズに国文学者中西進先生の第19回目のインタビュー記事があり、「令和の令は命令の令という意見はおかしい。辞書を引くと令は善で、論語などでは最高の徳とされている」「万葉集の中に天武天皇の、よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ があり、万葉仮名の原文では良、好、吉、淑、芳と、漢字が総ざらいされているが、ここに善の字がないのは善がすべてのよさを含むからでしょう」と述べておられる。

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