言うまでもなく西域の多くは砂漠地帯である。放送班は屡々ラクダに乗ってかつてのキャラバンを踏襲していた。放送の端々に日本人のある種の傲慢さが見え隠れしていたが、当時の世界中の経済格差と「YEN」のバブル的優位性がそうさせていたのだろう。これは余談。
砂漠では砂嵐が起る。それは我々の想像し得る「大規模な砂埃」とは桁違いの自然現象、気象現象で風景は一変する。歴史的には都市が一夜にして(一夜ではないが)死滅した。
数千年前の都市が、ミイラが、昨日のように残っている地からすれば、数年で何もかもが朽ち果ててしまうモンスーン地帯の人々の暮らしなどは想像できないだろうが、我われからすれば彼の地は想像を絶する土地である。
さて、大歳時記をめくると春の季語に霾(つちふる)がある。今でいえば黄沙のことである。そしてその子季語(傍題)に「胡沙来る」や「胡沙荒る」があるのを見つけて私は驚いた。「霾の実態は胡沙」だと見抜いて子季語(傍題)に採った人は誰だろう。
先日来私が屡々取り上げてきた新疆ウイグル自治区の多くも乾燥地帯である。そして屡々砂嵐が巻き起こる。
ウイグルの便りを背負いて胡沙来る
写真は河島英五の絵で、ご伴侶が開いておられた法善寺横丁のお店の壁に描かれていたもの。法善寺横丁の火災後、奈良大学の文化財学科の先生らが考古学の技術で「採掘」?したもの。
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