季語にうるさい俳句界でも基本的にはこの東洋の四立で、別に「新年」を立てている。
ただし、日本でも倉嶋氏のおられた気象庁は通常は、3~5月を春、6~8月を夏、9~11月を秋、12~2月を冬と言ったり、放送局の1クールだとか、年度で区切った場合は、4~6月を春、7~9月を夏、10~12月を秋、1~3月を冬という世界もあるが、ここは一応「日本は四立」としておく。
次に西洋だが、西洋といっても広うござんすで、秋のない国、夏冬しかない国、1日に四季がある国等々等々十把一絡げに語るのは憚られるし、日本列島の南北にも大きな差があるが、とりあえず倉嶋説に沿ってざっくりと話を進めると、花鳥や体感は西洋の区分が合うし、太陽の光の感じ方を重視すると四立が上手く合っている。
倉嶋氏はこれを、「東洋の区分は季節変化の原因に、西洋は結果に注目しているともいえる」と述べている。ここは「そこまで言うか」と思うが・・・。
確かに、真夏の盛りに立秋というのは気分が乗らないが、寒さの中でも日差しの中にいち早く春を感じる(感じたい)立春は納得する。
暦の上では期待の春になったが自然界はまだ冬だという、誰もが抱くもやもやとした違和感に『早春賦』は見事にシンクロするから愛されているのではあるまいか。
『焼嗅がし』の写真を右に追加。
鬼は嫌がるらしいがカラスは喜ぶ。
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