2021年2月23日火曜日

丸腰の安全保障

   昨日のタイトルのダラエ・ヌール渓谷は、不正確かもしれないが、巨大なヒンズークシ山脈内の渓谷で、日本の郡ほどの広さがあり、北部山岳地帯はヌーリスタン族の居住地で渓谷上流にその一部の部族が住み、全体的には約3万から4万人のパシャイー族が自給自足している。ペルシャ語やパシュトゥ語もしばしば通じないところだった。

 ただ、その険峻な山岳地帯のため下流では廃村になったほどの戦争があったのに、上流のヌーリスタン部族はおおむね戦火をまぬがれた。ここに中村医師らは診療所を建設したのだった。

 そこは、指揮者のシャワリ医師も「ドクター、ここはアフガニスタンのほんの一部にすぎません。もっと良い場所はたくさんあります。スタッフたちが住民のパシャイー部族を恐れています」というほどの場所だったが、しかし中村医師は「誰もが行かないから我々が行くのだ」と押し進んだ。

 下流域ではイスラム急進党とアラブ系勢力が軍事力でしのぎを削っていた。さらに急進党自体が分裂して抗争し、その上に家族・氏族対立が重なる。この氏族ごとの対立と団結も非常に大きく、こういうのはアラブなどのイスラム世界では共通しているようだ。以上が今日の前説になる。

 さて今日の本論は、こういう状況下で「丸腰の安全保障」はありうるかというテーマである。

 中村医師たちは診療所内での武器携行を一切禁止した。自分自身が丸腰であることを示したうえで、敵を恐れて武器を携える者を説得、門衛に預けさせた。これは時に発砲する以上の勇気を必要としたが、無用な過剰防衛はさらに敵の過剰防衛を生み、果てしなく敵意・対立がエスカレートしていくさまは、この渓谷でもあらわに観察されたものだった。故に、アフガン人チームが「決死の覚悟」と述べても決して誇張ではなかった。当時のチームには悲壮感が漂っていたという。

 ところが、私心のない医療活動は地元民の警戒心を解き、彼らが我々を防衛してくれるようになった。もっともてこずると思われた政治党派の干渉も根気強い等距離外交でかわし、相対立するイスラム急進党が自ら不干渉と協力を表明してきた。

 ……アフガニスタンは噂の世界である。「本格的な診療所開設」の報はたちまち広がり、なんと、ペシャワールやカブールからも患者が訪れるという「逆流現象」さえ見られるにいたった。主な引用部分は終わる。

 私は以上の話を、短絡的に憲法9条や例の「戦争法案」に結び付けて結語にするつもりはない。ただ、日本でいえば戦国時代か中世以前のような感じを受けるメンタリティの渦の中にあっても、この世に平和や信頼が生まれる日が来るとは信じられないという、ある種アナーキーな虚無主義が常識の世界にあっても、こういう事実が実際に実現した「事実」は重い。

 中村医師の足跡はこの上なく尊い。私なら途中で逃げ出していたかもしれない。

2 件のコメント:

  1. ひと言コメントー今日の記事感動ものです。

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  2.  ケンタさん、ありがとうございます。

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