2021年2月9日火曜日

   先日亡くなった半藤一利さんの本の中に「あっ、そうか」という発見があった。

 本にはこうあった。『突如、女房どのが質問してきた。「首相とか外相とか環境相とかいうけど、あの“相”はどんな意味なの?」 答えた。そもそも宰相などといい室町時代以前からあって、「相」は「助ける」という意味である。 ならば、誰を助けるのか。もちろん戦前は”天皇を”である。これが戦後は主権在民で助ける相手は天皇から国民に変わった。はずなのに、そうはいかない。いま各相が助けているのは、属している省や党のためだけ。いや、正しくは大臣としての自分の身分や去就だけか。そんな風に見えてならない、と女房どのに説明し、何となく憮然たる心持になった。』

 「相」に「助ける」の意味とは知らなかった。勉強になったし半藤氏の文の主旨にも同意する。 

 そこで早速白川文字学で確かめてみたところこうあった。『木と目とを組み合わせた形。相は木を目で「見る」の意味である。盛んにおい茂った木の姿を見ることは、樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」の意味となる。たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味となる。また、「すがた、かたち」の意味にも用いる。見ることは人の生命力を盛んにするという魂振り(たまふり)の力があると考えられたのである。・・・』 

 この解説も気に入った。特に冬の落葉樹、注視しない者には眠っている、死んでいるようにしか見えないだろうが、枝の色が日々変わっていき、「蕾の蕾」もスローモーションで変化していく。

 私の素朴な実感からも、古人が、樹木を見て己が生命力の充実感を感じたというのは大いに理解できることである。

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