2021年2月6日土曜日

   一昨日の記事で、『「キョウ」は両言。言は「サイ」(神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形)を置き、もし誓約を守らないときは、この針で入れ墨の刑罰を受けますと誓う神への誓いのことばである』と書いた。

 そのことはその記事の図で添付した金文( ・周時代の青銅器に鋳刻された銘文)で一目瞭然だと思われるが、再確認のため、言という文字の甲骨文字、金文を右に掲載したので理解していただけることと思う。

   一昨日に続けてこの記事を書いたのは、この文字の下の部分が口(くち)ではなく、添付の「サイ」であるというところこそが、白川文字学の要諦であるからである。そのことを告という文字で確認しておく。


   告という文字について、「中国2千年の文字学の「聖典」説文解字では、字の上半分は牛の角であるとみて、牛が何かを人に告げるとき、横木をつけた角で人に触れるのである」としているが、白川静先生は「牛はそんなことをしない」とこれを否定し、そもそも口ではなく「サイ」であることを発見した。そうして・・、

 もとの字は牛に口に作り、木の小枝に「サイ」をつける形。口は「サイ」で、神への祈りの文である祝詞を入れる器の形。木の小枝に「サイ」をつけて神前に掲げ、神に告げ祈ることをいう。告はもと神に「いのる」の意味であったが、のち上の人に訴える、「つげる」の意味となる。王の命令を「言遍に告」で「こう」(つげる)という。

 東京では現首相、元首相の言質の無責任さが横溢している。それらの個別の事案は項を改めて書くとして、例の学術会議会員任命拒否問題にあたって、上代文学会の声明は、「前政権以来、この国の指導者たちの日本語破壊が目に余ります。・・・日本語の無力化・形骸化を深く憂慮します。頼むから日本語をこれ以上痛めつけないでいただきたい」とい言葉を再録しておきたい。

 漢字ができた頃、「言」に誠がなかった場合は入れ墨の刑に処せられていたのに。

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