2021年2月22日月曜日

ダラエ・ヌール渓谷の夜

   前回のイスラム社会の女性の地位についても、私は決して現状が良いとは全く思っていない。しかし、そのことを語るにあたっては相手の文化に対するリスペクトが必要だと深く感じたところである。

   さて、1991年第一次湾岸戦争と思われる12月4日の記述が中村医師の本にある。これは全く個別の事案ではあるが、非常に現地の感覚を教えてくれている。以下に要旨を記述する。

 ◆ 12月4日、アフガニスタンのダラエ・ヌール渓谷で一応の調査を終えた一行は、ふたたび山越えを覚悟していた。ところが意外にもナワ峠開通の報に接して小躍りした。明日の午後にはペシャワールに帰れる。

 電気もない夜の楽しみは歓談することである。JAMS(ペシャワール会)スタッフのムーサーが言った。「戦争とはいえ、俺もずいぶん人を殺しました。……今思い返すと妙な気がするのです。私はアフガン人です。そして私が殺したのもアフガン人でした」

 「私はイスラム教徒だ。それは死んでも変えようとは思わない。そりゃ、他人の信心や生活をとやかく干渉して壊す奴らは何時でも殺(や)りますぜ。しかしこの頃いつも思うのは、殺された奴らも、家に変えりゃ、ガキも女房もいるただのお父つぁんだってことですよ」 あんまりしんみりしていたので私もほかのスタッフも黙って聞いていた。

 「俺たちはもう疲れました。仲間同士で殺しあうのはまっぴらだ。ドクター、誰がこうさせたんですか。俺たちは悪い夢を見ていたんだ。ルース(ロシア)もアングレーズ(英米)も俺は嫌いだ。他人の仲を平気で引き裂いて、おかげでアフガニスタンはめちゃくちゃだ。俺たちは皆、平和にあこがれてるんですよ、日本のように……」

 ちょうどその時、誰かがBBCのパシュトゥ語ニュースのスイッチをひねった。いきなりJAPANという言葉が飛び出してきた。みんな耳をそばだてた。

 「日本の国会は国連軍に軍隊を参加させることを決定し、兵士に発砲できる許可を与えました。……」

 そこに集まったJAMSのスタッフも皆、私を気にして黙っていた。誰もコメントしなかった。私は気まずい場を取り繕うために大声で言った。

 「ばかな! これはアングレーズの陰謀だ。日本の国是は平和だ。国民が納得するものか。納得したとすれば、やつらはここアフガニスタンで、ペシャワールで、何が起きているかをご存知ないんだ。平和はメシのタネではないぞ。平和で食えなきゃ、アングレーズの仲間に落ちぶれて食ってゆくのか。それほど日本人は馬鹿でもないし、くさっとらんぞ」

 (いろんな会話の後、誰かが)「戦争で壊すのは簡単だが、建設は時間も忍耐もいるってことだ。第一、なんで俺たちが今ここでこんな苦労をしているんだ? 戦争があったからだ。でも今は、戦争より診療所のことを考えたがよかろう。もう寝よう」

 戦で傷ついたスタッフたちの「美しい平和な国」へのあこがれを壊したくない私の配慮が、知りつつも誇張された独断に変わったことが悲しかった。私はまるでピエロのような演技で、なぜ日本をかばおうとしているのか。チャチな虚勢が空しかった。◆

 「神は細部に宿る」という言葉があるが、この中村医師の一夜の話は、個別の一場面でありながら大事な本質を語っているように私には思えた。

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