2026年3月27日金曜日

ホトケノザ

    24日に「ホトケノザとヒメオドリコソウが満開」と書いたが、このホトケノザ(仏の座)は、ほんに蓮華の上に座っているように咲いているので判りやすい。
 だが問題は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、の春の七草のホトケノザはこれではないということ。
 春の七草のホトケノザは正しくは写真のコオニタビラコだからややこしい。
 だから一旦覚えても毎年この名前は何だったかなあと首をひねる。
 ところが昨今は、スマホのカメラ機能で質問すると即座に名前などが判る。便利だと思うが、もの足りない気分も残るのはなぜだろう。

 スマホの機能でもう一つ。近頃の私の朝食はトーストだが、トーストは5枚切り、カマンベールチーズは6P、ヨーグルトは4個セット、乳酸飲料は10本セットで、何かが切れそうだと買い物に出かけている。
 そこで、買い物に出かける回数を減らすためにはいつ出かければよいかと、つまり最小公倍数の出し方はどうだったかなあと遠い記憶を探ってみた。先に答えを書くと最小公倍数の出し方には3通りあり、①倍数を書きだす方法、②連除法(はしご算)を使う、③素因数分解を使う、・・のだが、なんと、スマホで「5と6と4と10の最小公倍数は」と尋ねると即時に答えが出てくるのである。

 漢字もいざ書こうと思うとアレレと手が止まるときがある。
 賢明な皆さんはそうではないだろうが、私はずんずん退化していっているのが判る。

2026年3月26日木曜日

古代寺院と造営氏族

    小笠原好彦著『日本の古代寺院と造営氏族』吉川弘文館は、索引を除いて355頁の大著である。
 大きな目次だけを紹介すると・・・、
 第一部      大和の古代寺院と造営氏族
  第一章      願興寺出土の飛鳥朝軒丸瓦と造営寺院
  第二章      巨勢寺跡と造営氏族の動向
  第三章      吉備池廃寺と木之本廃寺の性格
  第四章      川原寺の瓦当笵の移動と寺院の造営
  第五章      檜隈寺跡の伽藍と大改修
  第六章      本薬師寺の伽藍と新羅の感恩寺
  第七章      小山廃寺の性格とその寺院名
  第八章      加守廃寺の長六角円堂とその性格
  第九章      毛原廃寺の性格と造営氏族
  第十章      菅原遺跡の八角円堂と長岡院
 第二部      大和周辺の古代寺院と造営氏族
  第一章      摂津の猪名寺廃寺・伊丹廃寺と造営氏族
  第二章      古代の同笵軒瓦からみた僧寺と尼寺
  おわりに
   ・・・となっている。章の下の節を書くとするとこの記事が終わってしまう。「おわりに」だけでも17頁に及んでいる。

 多くの章の骨子については夫々私が受講したものだが、不良受講生の記憶は矢よりも早く消えているから、この本を読むたびに新鮮で、「そういえばそんな講義だったな」とやっと記憶を呼び戻す日々である。
 とりあえず斜め読みをしたが、これから一章が一冊の本だと思って、興味の湧く章からゆっくりと再読していきたい。
 柱穴や礎石や瓦の紋様などなどの考古学的な見解と、日本書紀その他の記録を照合しながら歴史を明らかにしていくこの本は、一面では推理小説、サスペンス劇場のような面白みもある。
 高額であるから購入まではお勧めしないが、図書館で読んでみてほしい。なければ図書館に購入方依頼してほしい。
 暗記ではなく探求する歴史は面白い。

2026年3月25日水曜日

焚火パーティー

    NHKeテレ 日曜朝早くに『野菜の時間』という番組があるがその中で・・・、ある日曜日の番組の片方では、「こう耕して、こう肥料をやって、こう農薬をまく」という番組をしていると思うと、別の日(週)には、「耕す必要なし(不耕起)、草取り農薬必要なし」という「有機のチカラ」という放送をしている。どっちやねん??
 で、怠け根性は「渡りに船」と有機不耕起栽培側に傾くのである。
 写真はホトケノザとヒメオドリコソウの群落だが、実はウスイエンドウの畑そのもので、この上にウスイエンドウが伸びている。
 ホトケノザもヒメオドリコソウも満開で実に美しいが、資本主義社会で市場のお世話にならない花は「雑草」と言って嫌われている。草に意思があったなら「理不尽な!」と怒っていることだろう。

    そんな放送のあった日曜日に、孫の凜ちゃんのリクエストで焚火で焼き芋と焼きリンゴを作った。
 近畿一円乾燥注意報が出ていたが、可愛い焚火なので許してもらおう。
 焼き芋もこれまで何回も失敗してきたので近頃は「ほゞマスター」というレベルにだんだん近づいてきた。
 さつま芋自身品種改良で旨くなっているし、生焼け、丸焦げさえしなければ旨い焼き芋は作れるのだが、そのタイミングが難しい。
 いろんな調理器具で焼き芋も上手くできる時代だが、それでも焚火の焼き芋は格別で贅沢だ。
 やきいも やきいも おなかがグー
 ほかほか ほかほか あちちのチー

2026年3月24日火曜日

9条の制約

    日米首脳会談が終わって、世論調査では内閣支持率が上がったと報道された。少なくない人々が、投資という名の莫大な貢物と引き換えに予想値の中では最悪のシナリオを回避できたことを評価したのだろう。
 最悪のシナリオはホルムズ海峡への自衛隊の派遣で、もしかしたら日本国民である隊員の犠牲をも厭わないという想定であったのは間違いなく。少なくない国民がその可能性を払拭できないでいたところ、それだけはなくなって多くの日本国民がホッとしたという感情が世論調査に反映されたのではないか。
 高市シンパのSNSでの発信では、「日本には憲法9条があるから自衛隊派遣などありえないのに、あり得るかのように心配していた人々はがっかりしただろう」と揶揄するのがあったが、私の知らない間に高市シンパは護憲派に鞍替えしたようだ。それならそれでよろしい。
 しかし! 西欧の主要国トップは「国の法制度上は艦艇派遣できるが、この戦争には正義がないから派遣しない」と明確に述べているが、高市首相の論立ては「私はトランプさんネタニヤフさんの戦争は正しいと考え艦艇を派遣したいが、日本には憲法9条があるから派遣できないことをわかってほしい」というものだ。
 これを「似て非なるもの」だと正しい理解が広がればあんな内閣支持率は出ないのではないだろうか。

 以前のことだが、私は航空自衛隊のハイレベルの幹部の方と親しくしていただいていたことがある。その折、何人かの酒席でAさんが「やっぱり皆さんは改憲派ですか」と尋ねると、大幹部のその方は「憲法9条は変えてはならん」ときっぱりと申されたので少々驚いたことがある。憲法9条の下での自衛隊というのが尤も現実的な防衛策だと・・・
 高市シンパの皆さんは護憲や自衛隊の海外派遣反対などの主張を「お花畑だ」などと揶揄されるが、ユーラシア大陸のそばの列島の島国で、しかもGDPも順に抜かされて行っている現実の下で、軍拡で脅せば周辺諸国は腰を抜かすであろうという想定こそがお花畑でなくて何であろう。
 いまの瞬間は石油問題が話題であるが、レアメタルどころか日本のコメ作りの肥料や農薬の自給率はほゞ0%である。
 土下座外交をせよというのではない。憲法9条を堅持した友好外交こそが日本国民を豊かにする道である。

2026年3月23日月曜日

木の芽時

    春分の頃、気候も変化し連動して体調も不安定になる。特にこの時期は「木の芽時」といって昔から「メンタルの不調」が起きやすいと言われてきている。
 冬が過ぎて芽吹きが花のように美しくパッといきたいのに毎日難儀なことである。
 ただしメンタルの不調に対してガンバレなどと励ますのは逆効果と言われているから、ありのままを受け入れて無理をしないことが肝要と言われている。

    現職の頃は過労自殺などをたくさん扱ってきたが、現代社会でこの問題は一向に改善されていない。
 長時間労働は、それ自体が疲労の原因だが、その疲労の上にパフォーマンスを上げようとするから乗数的に精神にダメージを受ける。
 にもかかわらず、高市首相は働いて働いて!などとエエカッコをして、長時間労働の規制を緩和せよとのたまわった。これは良くない。
 それに上司(高市)が部下(赤沢)に『「私に恥をかかせるな」と言ったよね』と公表したのも「管理者」としては最低の振舞いだ。

    もうすぐ北帰行の季節がやって来る。彼らツグミはすでにモンゴルやシベリアの草原を夢見ていることだろう。

 先日庭の木にアクセサリー的に巣箱を付けたことを書いたが、ヤマガラが窓からのぞいて優良物件かどうかの品定めをしていた。
 カメラ!カメラ!と用意するうちに飛び立ったので撮影できなかったが、賃貸契約は成立しなかったようだ。

2026年3月22日日曜日

社畜発見

    昨日の、トランプに媚びを売りまくる高市首相の記事で、『自ら「社畜」などと自嘲するサラリーマンなら「少しおべんちゃらもオーバーな!」で済むかも?しれないが 』と書いたが、ここで「社畜」という言葉をチョイスしたのには理由(わけ)がある。
 読売テレビの夕方の番組・tenの中に「ますだ岡田のますだがあなたの町をアポなしノープランロケ!お宝発見・街かどトレジャー」というコーナーが週に1回あるが、先日のそれは特別にタイのバンコクで、さすがにタイではアポなしではロケは上手くいかず、それでも飛び込んだ店にいたアメリカ人二人とようやく話が盛り上がって無事番組の体裁が成り立ったというのがあった。
 そこで私が驚いたのは、そのアメリカ人が日本のIT企業で働いているということで番組が上手くできたのだが、最初の自己紹介で彼が「社畜です」と言ったことだった。(ロケ全体はよくできていた)

 Wikipediaを牽くと『社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤もいとわない奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄、あるいは自嘲する言葉である。「会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ』とある。

 確か佐高信氏の造語だったと思うが、「会社の家畜」とは言い得て妙である。もう一度Wikipediaを読み返すと、「会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、会社の家畜と化し、馬鹿にされる」存在といえる。
 例えば上司の理不尽に対するに、労働組合に団結してモノ申す訳でなく、強いもの長いものに巻かれて保身を図ろうとすることを選択する。
 その意識は会社の外のことについても免れることができなくなり、一見強そうな言葉、単純でスピーディーに見える言動に魅かれることとなる。もっと言えば、誠実さや正義感などよりも目先の利益を選択の基準にする。
 もし高市首相の媚びを売って売って売って売りまくる言動に、「それも処世の現実」などと了解するなら、もう間違いなく社畜根性に染まりきっている。
 一億総社畜の国には未来は開けない。

2026年3月21日土曜日

愉快でない絵面

    高市首相はトランプ大統領に向かって、「今、中東とか大変ですが、世界中に平和と繁栄をもたらすことができるのはドナルド貴方だけです。それを伝えたくて今日来ました」と発言した。
 自ら「社畜」などと自嘲するサラリーマンなら「少しおべんちゃらもオーバーな!」で済む?かもしれないが、その言葉と絵面(えづら)が、アラブ地域最大級のニュースメディアであるアルジャジーラによって中東全域に一瞬にして拡散されてしまった。ああ!

 在日大使の経験もあるイランのアラグチ外相は「アメリカとイスラエルの戦争に協力さえしなければ、どこの国の船舶もホルムズ海峡を安全に通過できる」とあらためて表明したし、現にトルコ等のタンカーはホルムズ海峡を通過しているが、口先では「したたかな外交」などと言いながら、この首相の言動は国益を大きく損ねつつあるのが現実だ。

トランプの艦艇派遣要請にNATOや西側有力諸国が揃ってNOを突き付けたおかげで自衛隊派遣は止められたようだが、新聞報道では、『テネシー州、アラバマ州での次世代原子炉「小型モジュール炉」(SMR)建設など最大730億ドル(約11兆5000億円)にものぼる対米投資』を差し出したという。

それらは決して手柄でもなく、トランプに媚びた態度のせいでアラブ諸国からは軽蔑され、当のトランプからは、日本の記者から対イラン攻撃を日本など同盟国に事前に知らせなかった理由を問われると、真珠湾攻撃に言及し「日本ほど奇襲に詳しい国はない」と皮肉られ、米側関係者から笑い声が起き、高市氏は一言も発さず、目を大きく見開いていたと報じられている。

 私は高市首相を支持はしていないが、これには日本人が侮辱されていると感じて実に不愉快だ。
 日頃「愛国者」などと標榜されている皆さんは如何お考えだろう?

2026年3月20日金曜日

やはり9条

    トランプの言うことはころころ変わるからその一つ一つについて論評するのはしんどいし意義も大きくはないが、こんな情緒不安定な男一人に絶大な権力を集中させている超大国を見ていると、権力の分立ということが民主主義にとって如何に大事かということが判る。
 そもそもトランプは、同じように脛に傷を持つネタニアフの誘いに乗って、エプスタイン事件に蓋をするために戦争を始めたというのがもっぱらの真相と言われているがそれは後に書くとして・・・

 さて、トランプのイラン攻撃とホルムズ海峡への艦艇派遣要請を見ると、いわゆる西側の各国首脳でも、NATO、カナダ、スペイン、イタリア、ドイツ、イギリス、さらにはブラジルその他でもきっぱりNOと応え、そんな中、日本政府の属国根性だけが鮮明で、それが日本国民の特徴的精神だと世界に思われるのは恥ずかしい。

 イラクのフセイン殺害戦争のときなどにブッシュの要求で日本は1兆円を超える金を出したものの、アメリカはショーザフラッグ(日の丸を見せろ、人を出せ)と日本をなじったが、終わってみれば、当事者のアメリカもイギリスも「イラクは大量破壊兵器など持っていなかった」と弁明した。
 トランプのホンネを絵に描くと、そのうちに「共同作戦の戦死者の数に応じて関税をかける」と言いたいだろう。中学校のテストで「次の文章から作者は何を言おうとしたのかを書け」というので言えば・・・

    戦後80年、戦争で自国民が殺されたり他国民を殺したりしてこなかった国であることを現政権は恥じているのであろうか。裏返せば、この稀有な平和を維持してきた力は憲法9条である。
 核を含む軍事力での抑止力というのは「変なことをしたらタダではおかんぞ」という「脅迫力」であるから対する国には恐怖である。当然その国は上回る軍事力で恐怖を乗り越えようとする。けっきょく決着がつくまでに莫大な犠牲者が生まれる。つまり殺し殺される。
 国際関係は中学生の不良グループの喧嘩ではない。
 そして、嫌いな人間どおしなら分かれればよいが、隣国、近国という土地は引き離すことはできない。
 外交のできない人たちに政治を任してはならない。

 【どう考えてもこの訪米は百害あって一利なし。一体、何のための訪米なのか。ブチ切れるトランプ大統領に言い訳に行くのか。そのために貢ぎ物を用意し差し出すのか。今度の訪米に意味があるとすれば、米国隷従からの方針転換を鮮明にすることだ】は日刊ゲンダイの主張。異議はない。

2026年3月19日木曜日

力=質量✖加速度

    大相撲が千秋楽に近づいてきた。
 大阪で電車に乗るとお相撲さんが居たりして、やはり華やぐ。太っているせいもあるし何しろ若いので、肌も張っていて美しい。
 さてさて力士の最大の相手は対戦力士よりも怪我ではないかと思う。
 もっと丸い土俵を大きくする。その外の四角い部分も大きくする。さらに高さや土俵下の硬さも考える。そうなればもう少し怪我も減って技の掛け合いなどが面白くならないだろうか。昔の栃若時代の映像などを見るとそんなことを思う。
 当時の映像を見ると、近頃の力士のなんと大きいことか・・・

 さて物理でいえば、力は=(質量✖加速度)になるから、このごろ圧倒的に多い押し出しを考えると、絶対的に重い力士が有利になる。
 軽い力士が重い力士と衝突した場合、相手に与えた「力積」と同じ「力積」を自分も受けてしまうから、相手の筋肉や体格と関係なく重い力士が有利というのが物理の法則である(軽自動車とトラックが同じスピードで衝突すると、車体の構造を別にしても、軽自動車の運転者の方が大怪我をする)。
 それでもそれを超える業師が出てくるから相撲は面白いのだが、そもそもはこの無差別級というのは小さい土俵では非常に難しい。
 ガンバレ小兵力士。判官贔屓は潜在的な庶民の気持ちである。
 宇良はすごい!

2026年3月18日水曜日

ほんとうに便利なのは快速じゃないの?

    各地から春のダイヤ改正のニュースが届いているが、その中に「近鉄が平日朝に天理発大阪難波行きの直通特急を新設した」というのがあり、妻が「高市ダイヤやろか」と呟いた。天理は高市氏の選挙区にある。
 乗車料金は830円に特急料金が920円。所要時間は大阪難波まで54分。
 ちなみに現行の普通に使用されるダイヤよりも10分程度短縮される。ただし、現行は大和西大寺の乗り換えが必要だったし、乗換後は座れる保証はなかったしその限りでは便利になったが、そのためには+920円が必要になったし、なにしろ一日に片道これ一本である。
 ほんとうに通勤者の利便を考えるなら、特急料金不要の天理発大阪難波行きの直通快速急行を朝夕に走らせる方が何百倍も便利である。ほんとうに便利なのは快速急行じゃないの?
 つまり、このダイヤは、「天理駅は特急停車駅だ」とカッコづけるためだけのように思えるのだがどうだろう。
 私は鉄ちゃんではないからよくは知らないが、元々奈良発大阪難波行きの特急を振り替えただけということはないか。
 如何にも高市政治駅と思うのは考え過ぎだろうか。
 撮り鉄ちゃんによる天理駅乗車状況のリポートを期待したい。
 また、鉄ちゃんのご意見を乞う。

2026年3月17日火曜日

女子小学校爆撃

    アメリカがイラン南部の女子小学校をミサイル爆撃し175人の児童が亡くなった。 
 当初アメリカは「イラン軍が爆撃した」と公表していたが、ニューヨークタイムスが報じたところでは、アメリカ軍のデータが古くて軍事施設と設定されていたので起こった誤爆だったという。
 入力されたデータで発射されるミサイルという何とも「乾いた」恐怖を覚える。現代の戦争は戦場から遠く離れた指令室のデータが独り歩きする。
 きっと、誤入力に関連した人間たちはそれほど胸を痛めていないことだろう。現代戦争の恐ろしいところである。

 いわゆる西側ながらイランの友好国と言われていた日本では、このニュースは瞬く間に「古いニュース」となり、テレビは「ガソリン代の予想屋」と化している。
 確かに石油は産業の大きな要素だが、私はそれと同時に授業中にミサイルで殺された児童たちの代わりに怒り続けたい。

 その子どもたちの遺体らしい白布の並んだ写真がフェイスブックにあったのでシェアしたところ、旧フェイスブック社であるMeta(メタ)社から「その写真はAIのファクトチェックで正確でないとなったので貴君(私)のフェイスブック記事の公開の順位を大幅に下げる」と連絡があった。
 もし正確でない写真であったのならと反省もするが、本末転倒のAIにも怒りが湧く。
 慎重になることと委縮することは同じでない。
 物の本質を突いた意見は言い続けなければならない。言い続ける。

   春愁い 児の殺されしは 事実なり

2026年3月16日月曜日

木瓜(ぼけ)の花

    「その花は何ですか?」「ボケです」という会話を通行されている方々とする度になんて可哀相な名前なんだと思ったことが度々だった。 
 日本語は世界一かどうかは知らないが、世界中で同音異義語の多い言語のひとつであるとされている。
 要するに「呆け」や「惚け」に聞こえ、真っ赤でもないオレンジやピンクでもないその朱色が暈けたイメージなのかと勝手に想像したりして・・
 もともと刺があるにもかかわらず茶花とされているという「格式?」に失礼な、下品な想像力にお詫び・・
 木瓜は織田信長の家紋や夏目漱石が好んだ花としても有名。
 いち早く春を告げる花。
 花言葉には、「先駆者」というのもあり、「一目ぼれ」というのもある。

2026年3月15日日曜日

考古学の現代史

    先週、「文化財保存全国協議会(文全協)」の歴史講座に行ってきた。今回の講座は昨年亡くなられた都出比呂志氏追悼と銘打った講座であった。 
 そのためでもあるし私の勉強不足もあり、都出比呂志氏の解き明かした学説の内容よりも、考古学黎明期の先学・都出比呂志氏の生き方、考古学・日本史学の現代史を興味深く聴いた。

 美濃部達吉氏の天皇機関説や津田左右吉氏の一連の古事記及び日本書紀の研究のことはこれまでも書いてきたが、一言でいえば、それらは戦前の天皇制を批判するものでもなかったし、只々学問的に考察しただけのものであったが、戦前の政治体制はそれさえも許さずにいた。
 そういう「天皇は現人神である」として、神話さえ「歴史である」「科学である」と一切の批判を許さなかった政治体制が終わり、日本国憲法下の科学的な観点で日本の歴史を解き明かそうとした人々の現代史として、都出比呂志氏や考古学の実際を聴くのは楽しかった。

    その時代、教条ではなく、フリードリヒ・エンゲルス「家族・私有財産および国家の起源」が学ばれ、議論されていたという事実も新鮮な話だったので、帰宅の後、書架から都出比呂志著「古代国家はいつ成立したか」を引っ張り出してきた。

 世界考古学会議執行委員の岡村勝行氏が紹介された都出比呂志氏の経歴では、氏は、学問として考古学を深められると同時に、京大文学部教職員組合の支部長として鋭く権力批判を行われ、かつ、各種の遺跡保存運動でも奮闘されたとのことだった。
 それ故か、京大当局には昇進差別をされ、氏は滋賀大そして阪大に移られた。その後の華々しいほどの活躍の話は割愛するが、結果、阪大の考古学教室は大きく発展した。

 さて現代は、新聞社や自治体などが多くの歴史講座を開催しているが、それを単なる余暇のための「教養講座」にしていてはならないというか、先輩たちに申し訳ない気持ちを抱いて冬の京都から帰ってきた。

2026年3月14日土曜日

大砲は土の中

     2013713日に【維新と大砲】というタイトルで、大要次のような記事を書いた。
🔳 明治維新のとき大和國鎮府総督が廃仏毀釈の音頭に乗って、大仏殿をブッ飛ばしてやろうと大仏殿の正面に大砲二門を置いたとき、近くに住んでいた中山忠愛朝臣が「我は中山大納言なり、先ず我が身より撃て」と立ちはだかったところ、勤王藩士は公家の名を聞くや恐懼して退散した。
 この逸話に因んで奈良の人吉村長慶が、大砲を踏み押える石灯籠を東大寺に寄進したのだが、太平洋戦争敗戦時、進駐軍基地や施設の設けられた奈良や東大寺において「大砲付きの灯籠は不適切だろう」と東大寺が灯籠の下部を土中に埋めて今に至っている。
 故に灯籠の文字もさらには寄進者の文字も不自然に「吉村長」で切れていて、台座の下部は全く埋められている。🔳

 さて先日、大仏殿に行って驚いた。ここ数か月、大仏殿前のこの灯籠周辺を含む広場の整備工事をしているのは知っていたが、その結果、この灯籠には新たなコンクリート製の土台が増強されていた。場所ももしかしたら若干移動したかもしれない。確かに元の灯籠の土台あたりが欠けたりしていたからいろんな「気遣い」があったのかもしれないが、一旦掘り出したのならどうして大砲(横向きの石の円柱?)を元どおり見えるようにしなかったのだろう。
 吉村長慶は新興宗教を唱えたりしたから関係者?はいろんなことを蒸し返されたくないという気持ちがあったのだろうか。そうだったとしたら面白くない。 
 
 吉村長慶については、2019330日【二聖よ起きよ】でも大要次のことを書いた。
🔳 吉村家は、奈良町の徳融寺の檀家総代であったらしいが、ここの山門を入ってすぐの『世界二聖・大日如来像』という大きな石のレリーフは吉村長慶が昭和12年に建立したもので、なんと、釈迦 と十字架を背おったキリストが横臥し、マント姿の吉村長慶が二人の間に割り込んで「あなた方が寝ている時ではない。はやく起き上がってこの世の乱れを救ってください」と胸をゆすっている。讃文は「軍馬の嘶(いなな)きは則ち国を亡ぼす」である。終戦まで寺では、讃文が官憲の目にふれると大変なことになると、レリーフ全体を板で囲って秘仏としていたと。🔳

 現代世界は、釈迦もイエスもマホメットも起きよ!と言いたいほど乱れている。この国もガムシャラな軍拡路線に舵を切った。
 そんなとき思うのは、東大寺の歴史も奈良時代だけが大切なのではない。近現代のこんな歴史の一コマ・・大砲を踏みつけた灯籠もちょっとした歴史だろう。せっかくの工事の機会があったのだから元の形で灯籠を復活させてもよかった気がする。
[以前の写真]


2026年3月13日金曜日

チンチョウゲ(沈丁花)

    沈丁花が咲き始めた。大阪市内あたりではもう満開だろうか。
 日本の三大芳香木である沈丁花は素晴らしい香りだが、開花がちょうど人事異動の内示の頃なので、この香りを嗅ぐと、仕事を無責任に引き継ぐわけにもいかないということと、未知のポジションでの仕事に対する漠とした不安など、複雑な記憶と重なってくる。それも昔話になった。
 
 昨日は会報の発行作業などのために久しぶりに大阪市内に出かけた。
 そしてそのあと、旧友に献杯を重ねた。沈丁花の香りにまた一つ複雑な記憶が重なることとなった。

 旧友は、相当以前に故郷の見晴らしの良いところに墓を立てていて、私などが冷やかすのに「懐かしく美しい景色を眺めながら眠ると考えると落ち着く」と言っていたが、葬儀に参列したときの様子だと、子どもたちの意見とは隔たりがありそうに感じた。まあ「そんなの関係ねえ」とでも言っていることだろう。
 楽しい幻想に罪はない。

2026年3月12日木曜日

箸箱について

    9日の「属人(食)器」の続きで、箸箱(おはしばこ)のことを書く。
 その前に属人器のルーツだが、平城京で発掘された碗(土器)に「これは〇〇のものだ」とか「〇〇の役所のものだから持って帰るな」というのがあるのを属人器のルーツとする説もあるが、私は少し違うと思う。
 それよりも、お水取りの籠りの僧や禅宗寺院の修行僧に見られる箱膳の方がそれではないか。
 箱膳はちゃぶ台登場以前の個人ごとの机であり食器の収納箱である。朝ドラの「ばけばけ」でもそうだから、明治は当然、戦後少しまで基本のスタイルだった。
 ちゃぶ台(卓袱台)後は箱膳そのものはなくなったが、箱膳時代の感覚が属人器として残って今に至っているのだろう。

 その属人器の一つが箸であるから、箱膳がなくなっても即共用器扱いにするのには抵抗があったのだろう。属人の箸は属人の箸箱にしまうという時代が戦後少しまであった。
 弁当箱とセットの箸箱はご存知だろうが、あれのもう少し落ち着いたものである。家庭で毎食時に使用する箸の箸箱だ。
 そしてそれはテレビで見る修行僧の箱膳のしきたりのように、基本的には食事の最後にお湯やお茶と沢庵(たくあん)で清掃?し、布巾のようなもので拭いて即なおすのであった。だから、箸箱の時代は箸も食事の最後に清掃?して、そのまま箸箱に収納した。夫婦の箸を一緒に入れる箸箱もあった。

 その後、衛生上から箸も茶碗も水で洗うのが普通になるとわざわざ入れておく箸箱は、弁当以外では無用の長物となったから、こういう箸箱は「知らない」人も増えたに相違ない。そういえば、わが子たちでさえ「知らない」だろうと思う。
 属人器を書きながら微かに覚えているそういうことを書いておきたくなった。
 箸、飯茶碗、汁椀、湯吞、・・貴家の属人器はどれですか?

2026年3月11日水曜日

林太郎は泣いている

    森鷗外(森林太郎)はいうまでもなく文学界で有名だが、公職では大正6年に陸軍軍医総監、陸軍医務局長という要職を退き、東京・京都・奈良の帝室博物館と正倉院を統括する帝室博物館総長に任じられ、大正11年に61歳で亡くなるまでその職にあり、今日に通じる博物館学の基礎を築いた。
 奈良国立博物館は現代でも毎年の正倉院展で有名だが、その元は正倉院曝涼(虫干し)で、鷗外は毎年秋には奈良に出張して暮らしていた。鷗外滞在中の官舎は現博物館の東北隅にあり今はその門が残っている。鷗外が東京の子どもたちに送った手紙には手書きの地図があり、「パパの居るところ」と注記がある。

    さて文化庁は国立博物館・美術館に対し、4年後の時点で入場料などの「稼ぎ」が費用の4割未満なら「再編」の対象にする。5年後までに65%以上、10年後には100%「稼げ」と「中期目標」に明記した。
 収蔵している資料類を廃棄してスリムにし、一部の図書館のように民営化せよというのだろうか。博物館資料が危機に面している。

    薄っぺらな議論では、保守というのは伝統を大事にし、一方革新というのはそうでもないという大誤解があるが、銭勘定のためには伝統も歴史も投げ捨てて儲けの対象にしようとするのが自民党らの姿勢である。奈良の歴史や文化でいえば、それの保存などに一番積極的なのが日本共産党であるから、事実は小説よりも・・である。
 自民党絶対多数の国会ではあるが、「博物館を守れ」の世論を大きくしていきたい。

2026年3月10日火曜日

津波てんでんこ

    歳をとると時の流れが速くなる。
 3.11から数か月も経たずに生まれた孫の夏ちゃんも中学生である。その間に私たち大人たちはこの国をどれだけ安全で穏やかな国に「改善」できただろうか。終活だとか〇〇終いだとか言っている暇はない。
 津波について語ると、あのとき勤労者の多くは就業中であったから、現地以外のほとんどの方は夜のニュースで知ったことだろう。そして、海岸べり以外の現地の方々は停電でそれを見ていない方も多かったと思う。
 しかし私は、けっこう揺れた奈良市内から飛んで帰ってテレビでそれをLIVE、つまりヘリコプターからの実況で見ていた。
 人が歩いたり自動車に乗ったりして避難していたが、そのすぐ後ろから津波が襲ってきて、人が津波に飲み込まれて死んでいくのをLIVEで直接放映していた。そのとき、即、人が死んでいくのをテレビは実況していたのである。
 ほんとうに、「あかん。そっちへ行ったらあかん。早く丘へ向かって」とテレビのこっちでほんとうに声を出していた。
 夜のニュースの映像の何千倍、何万倍もの強烈なショックであった。重ねて言うが、海岸から離れた現地の方々は停電で知らなかったのではないだろうか。
 「津波てんでんこ」とは、「津波が来そうだったら、躊躇せず各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」という昔からの大切な教えである。

 福島原発事故についても触れたい。最初に述べたとおり、あの時に生まれていなかった孫が中学生である。15年が経過した。「私から保証します。状況はアンダーコントロール(統御)されています」と安倍晋三氏が言い放った880㌧のデブリは15年で0.9グラム取り出しただけである。
 世間では理系・文系ということがあるが、大切なことは「理系バカ」にならないことだと思う。
 確かに医学や自然科学の進展はめまぐるしいが、そして、「原発は安全だ」というコマーシャルは今も大きいが、樋口裁判官の下した判決文にあるとおり、フク1原発は「あってはならない欠陥があったため流れ込んだ水で冷やされて東日本壊滅が防げられた」のだった。
 もう一つ、ほんとうに「絶対安全だ」というものならば、電力の大消費地近く、東電は東京湾岸に、関電は大阪湾臨海部に原発を建てるべきである。
 それを、過疎に悩む地方の弱みに付け込み、考えられないような札束で頬を叩きまくって今がある。
 最後に気候危機のこともある。原発は、核分裂や核融合のエネルギーを使用すること以外は理屈は単純な釜である。その過程で使用される海水(冷却水)は海に放出されるので、その温排水は海水を7℃上げていると言われている。電力会社側は2℃と主張しているが、要するに、日本列島を取り巻く海水温度を上げている。
 酷暑も豪雪も気候温暖化のせいだという。
 世界は確実に再生可能エネルギーにシフトしている。冷静に立ち止まって議論すべきだろう。(写真は9日の朝日新聞)

2026年3月9日月曜日

ご飯茶碗

    ご飯茶碗が欠けたので新しいものを購入した。こういう属人器はあらかじめ購入しておくものでもないだろうから、いざというときには「とりあえず」ということで手近なところで手軽に購入してしまうことが多い。写真のそれはそういうものである。だいたい私の箸置の5分の1以下だった。

 飯茶碗というと「一膳めしはあかん」と昔から言われてきたが、近頃はそれ(習わし)はそれとしてわが夫婦は健康の為もあるし、何よりも食も細くなってお代わりなしの一膳めしである。
 「一膳めしはあかん」というのはきっと枕飯に通じるからだろうと思って念のため調べてみるとそうではなく、同じ葬儀ではあるが、参列者が一杯きりの飯を食う習俗である「出立(でたち)の膳(別名一膳めし)」であるからというのを知った。ただ、そういう儀礼は実際には出くわしたことがないから意外であった。
 それよりも、同じ言葉の一膳めしというのには、江戸時代から昭和の戦前まで「食べ放題ではない飯屋」を一膳めし屋という意味があって、実際に今でも「一膳めし」と称する食べ物屋があるのを知った。
 私などは、先のとおり「一膳めし」という言葉には不吉な名残(受ける感覚)があると感じていたからこれには驚いた。

 少し関連した話だが、お代わりをするときにはご飯を食べきらずに少し残したお茶碗でお代わりをしたものだ。これも習わし。
 現職の頃にはいわゆる社員旅行があったが、各自がお代わりを仲居さんに頼むのだが、忙しいときにはどうも返ってきた茶碗が変わっているようなときがあり、あまり気分のいいものではなかった。

 冒頭に書いた属人器であるが、この器は誰々のものという恒常的属人器である。世界的には共用器のみの国も多く、日本は銘々器(その食事中は個人に属する=一時的属人性)と(恒常的な)属人器の多さが特徴というか特異であって面白い。世界中で日本と朝鮮半島が頭抜けていて、東アジア文化の源泉のような中国にはそれがないというのもさらに面白い。
 わが家でも偶にしか使用しない子や孫の茶碗や箸は決まっている。不合理ではあるが、そうでないと落ち着かないのもおかしなものである。

2026年3月8日日曜日

若ごぼうは早春の味

    三寒四温という言葉は本来は冬の言葉であるが実際には春がよく似合う。
 もうひな祭りも終わったというのにけっこう風が冷たい3月8日である。
 先日、大いに春の季節感を味わおうとして、「八尾の若ごぼう」を食べた。
    持っている山野草の本にはフキやミョウガやシソまで載っているのに若ごぼうはない。山野草からもマイナー扱いされていて、中途半端に可哀相である。
 本では、早春のこの種の野菜はほとんどすべてについて「アクを抜いて・・」と教示されているが、アクがきれいに抜けると面白くもなんともない。まあ、人間といっしょである。
 
 3月6日に書いたが、オルテガのいう否定的な意味での大衆とは、みずからを、特別な理由によって――よいとも悪いとも――評価しようとせず、自分が〈みんなと同じ〉だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持になる、そのような人々全部である。

 そのような人々は若ごぼうを味わう必要はない。

口を噤む前

    『ツグミは春になると北へ渡ってしまうので、昔の人は「あの鳥の声が聞こえなくなったなあ」「きっと口を噤(つぐ)んでしまったのだろう」と思った』と、ツグミという名前の由来を2020年の2月に書いたが、そのツグミという名前の由来については、少し疑問が未解決のままだった。
 その1,北へ帰る冬鳥、つまり春に声を聞かなくなった鳥はいっぱい居るのに、どうしてその中で「口を噤んだ鳥」の代表にツグミがなったのだろう。
 その2,とびっきり美声とも言えない「ケッ ケッ」という声なのにどうして代表になったのだろう‥ということだった。
 確かに人家の近くに来ることは来る、声は小さくはない、それにしても・・・

 先日、歩いていると、少し高い木から聞いたことのない声がした。
 文字にし難いが、ピヨピヨとか、ヒーヒーとか、クチュクチュクチュとか、なんというか、女の子がおしゃべりをしているような声がした。もしかして百の舌を持つという百舌鳥(もず)?
 葉っぱの多い木なので声の正体は特定できないが、飛んでくる様、飛んでいく様は、ツグミの集団だった。・・・で、ふと気がついた。

 春先、農家の庭先で農作業が始まる頃、ツグミのこんな声を聞きながらみんな作業をしていたんだ。頭の上というか、木の上で、女の子たちが楽しくおしゃべりしているような声を楽しく聞きながら作業をしていたのが、あるとき(春が深まり)、フッと声がしなくなったのだ。
 ジャジャジャと鳴いていた鶯(ウグイス)が囀りの練習を始めるように、ツグミも3月になるときっと囀り(そのものは知らないが)の練習を始め、昔の人は楽しくそれを聞いていたのだ。

 これは全て個人の感想だ。しかし、バードウォッチング歴も古いが、ツグミのこんな声を知ったのは初めてで、私的には長年の謎が解けた気分がした。

2026年3月7日土曜日

必読書

    世界平和統一家庭連合(旧統一教会・統一協会)に対して東京高裁は3月4日、宗教法人たる「教団」の解散を命じる決定を行った。
 これを受けて東京地裁は清算人を選任し、清算手続きが始まることとなった。
 メディアは、高額献金の被害者に対する弁済が上手くいくのか、「教団」が財産を隠さないかなどについて注目しているが、何か重大な焦点の二つが欠けているように思えてならない。

 その一つは『赤報隊事件疑惑』である。
 統一協会はいろんな関連団体を通じて、殺傷能力のある空気散弾銃を大量に輸入し、全国で銃砲店や射撃場を経営し、「特殊部隊」=軍事組織を組織していたといわれている。
 「教団」が霊感商法批判キャンペーンに怒り狂っていた1987年5月3日、朝日新聞阪神支局で記者が散弾銃で殺害されたが、3日後の5月6日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済み薬莢2個と脅迫状が届き、そこには「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。薬莢は、凶器の具体的な報道がされていないにもかかわらず、銃撃に使用されたのと同じレミントン社製で、口径も大きさも同じサイズのものだった。
 赤報隊事件はその後も続き、警視庁は国会議員である著者に「オウムの次は統一協会をやる」と明かしていたがそれは実現しなかった。その理由を2005年に引退した幹部は著者に「政治の力ですよ」と答えた。

 その二は、想像を絶する統一協会の北朝鮮との野合である。
 1992年平壌の巨大競技場は「偉大なる首領様の生誕80年を祝う」民衆で埋め尽くされていたが、スタンドには独立運動の闘士8人の名前が人文字で浮かび、その最後の一人は文鮮明の三文字だった。 
 そのほかにも、霊感商法で日本人信者から巻き上げた莫大な献金を元手にした「金剛山国際グループ」の設立や莫大な資金援助。
 そして訪朝。金日成と「義兄弟」との会談。
 こうして金日成の葬儀に北朝鮮は文鮮明教祖に招待状を送り、文の最側近の韓国「世界日報」朴社長は金日成の死去後初の韓国人訪朝の人となった。
 日本などでは激越な反共演説を繰り返しながらのこの態度は、良識人には到底理解の限度を超えているが、同じように、日本の法律では入国が禁止されている人物(直前までアメリカで収監されていた)の超法規的入国を手伝ったのは自民党の大物たちであった。

 超高額の霊感商法による家族崩壊などなどの山上被告問題なども非常に重要だが、統一協会問題の深刻さはそれに止まらない。
 字数の関係で筆を置くが、こんな機会でもあるので、多くの方々に、この本ぐらいは購入して読まれることをお勧めする。最寄りの書店になければ、アマゾンや楽天ですぐに購入できる。

2026年3月6日金曜日

中島岳志の本

    久しぶりに十分に満腹感を覚える本を読んだ。NHK100分で名著・中島岳志著『大衆の反逆——オルテガ』。
 とりあえずPR調に紹介されている幾つかのコメントを拾うと、 
 ●なぜ「多数派」は暴走するのか
 ●真のリベラルを取り戻せ
 ●少数派の意見を聞き、先達の知恵を重んじる真のリベラルとは何か
 ●「大衆」「リベラル」「死者」「保守」20世紀最高の大衆社会論を4つのキーワードでよみとく
 ●大衆とは、みずからを、特別な理由によって―よいとも悪いとも―評価しようとせず、自分が《みんなと同じ》だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である
 ●自分の利害や欲望をめぐって行動する「大衆」が増殖した20世紀。スペインの哲学者オルテガは、「大衆」の暴走に警鐘を鳴らした。彼はなぜ、利己的な大衆を批判し、他者と共存するための「寛容さ」を説いたのか。「大衆の反逆」は、有権者の半分近くが投票権を放棄する現代日本に、どんな教訓を提示しているのか。オルテガの思想を受容し、現代的にアレンジすることで、自分たちの手で民主主義をはぐくんでいく術を探る
 
 オルテガの時代、西部邁の時代など背景となる政治状況の古さはあるが、著者の主張はいささかも古くはない。 
 非常にリアルな話として、「保守」の立場を公称されている著者が、現実の政治局面で日本共産党と友好的に語り合っていることの理屈が、けっこう理解もできる。
 書評など書けるほど軽いものではない。書き始めればきっと一冊の本になるだろう。それほど内容が濃くて納得する箇所も多かった。
 書店で手に取ってとりあえず立ち読みをお勧めする。

2026年3月5日木曜日

巣箱をつける

    気温が上がると花粉が飛ぶ。
 が、わかっちゃいるけど外に出たくなる。春である。
 で、懸案であったオリーブの木を伐採し、黄金モチの木も大きく剪定した。
 となると、いささか上空あたりが寂しいので、巣箱を取り付けた。
 こんなところに営巣するはずもないから、いわば庭のアクセサリーである。
 それでも、たまには「どうしようかな」と覗き込むシジュウカラがいたりして、その様子を眺めているだけでも気分は晴れる。(内外の政治や戦争のことを思うと・・そんな風に思う)
 シジュウカラは以前には家の前の電柱のパイプのような部品の中で子育てをしていた。
 それに比べるとこの巣箱の方が何十倍も棲みやすそうに思うが、プライベートに難があるというだろうなあ。

2026年3月4日水曜日

天子南面

    先日ラジオで女性漫才師がトークで「雛人形はどう飾るんやったかなあ」「向かって右やったか左やったか」と言っていたが、確かにこれは難しい。 
 第1に、先ずは古代からの思想・宗教を押さえておいて、第2に、明治の脱亜入欧政策を理解しておく必要がある。
 その第1だが、古い思想を語る場合、当然ジェンダー不平等や階層差別があるが、今日のところはそのことは学問的には横に置いておいて、「お内裏」とされているので男雛が天皇、女雛が皇后と考えて大きくは間違いがない。となると当然、男雛を上位に飾るのが正しい。これは男女でなくても左右の大臣と考えてもよい。
 第2に、明治の政権は西欧の王様と王妃の立ち位置を真似て日本の伝統をコロッと投げ捨てて、左右を逆転させたので、以降、雛人形も、いわば平安流と明治以降流が並存して今に至っている。 
 よく自称保守とか右翼と言われる人が日本の伝統を投げ捨てた明治風を「伝統だ」などと言っているのは軽薄な気がするがそれはさておき、本題の左右の問題である。 
 そもそも天皇という言葉は道教にいう北極星を神格化した神(北辰信仰)のことである。 北極星であるから当然顔は南を向く。「天子南面」である。 
 そして道教では左右のうち左を上位としてきたので、飾られた内裏(雛人形)の左(向かって右)が上位になるから男雛は左(向かって右)に飾るのが正しい。 
 重ねて言うが、大河ドラマでも理解が容易いが、右大臣よりも左大臣の方が位は上である。
 古典芸能の舞台の上手、下手もそう。落語の場合も基本は通ずる。左(向かってなら右)が上(かみ)である。
 これらのイメージは京都市の地図を思い浮かべると解りやすい。御所は京の北にあって南を向いている。だから東側に左京区があって西側に右京区がある。歴史を考えない人は京都の玄関口京都駅(七条口)で降りて京都の中心街(北)を向いて「なんで右側に左京区があるの?」と悩む。普通の地図もそうである。と、とりあえず悩むのは正しい。それを考えもせず悩みもしない人は論外であるが・・。
 天子は南面す。左が上位。・・なのである。 
 この種の伝統を知らずに明治以降の流行に流されてヨシとする人は反対に飾るとよい。それも一つの判断だ。ただ、私はそういうのを好まない。

 それはさておき、我が国での「天子南面」の思想は古代史的には新しい思想だった。以降、有名な寺社は基本的に南を向いているので、そうではなく東にある三輪山(西面している三輪大神)を拝む大神神社はそれ以前からの古い神社ということができる。 
 奈良時代の古地図では春日大社も西面していたように見えるが現在は南面になっている。

2026年3月3日火曜日

カニカマの進化

    NHKテレビの『探検ファクトリー』という番組でカニカマボコの工場を紹介していた。
 第一世代のそれはほぼ長方形で、如何にもカニに似せた蒲鉾だったが、
 第二世代は、一転してタラバガニの太い脚の身という進化を遂げていて、
 その第三世代は、ズワイガニに戻って細身であった。
 
 だいたいテレビの料理番組や「あま~い」などというコメントは信じないが、この原点復帰のような解説が耳に残ったので、先日スーパーで買ってみた。そして、幾つか食べてから「これは美味しい」と感じたので、スマホでパチリとした。
 第一世代や第二世代のそれは、如何にもカニという香りがついていたが、第三世代はそれが仄かなものに変わっていたのが私の評価の要因だった。
 つまり、文章で香りのことを書くのは難しいが、例の如何にもカニという香りは、正確に言えばカニの鮮度が落ちていくにしたがって強くなる香りであるから、新鮮で上等なカニはそんなにムッとするほど香らないものである。
 さらにテレビでは、企業秘密ながらカニの身の繊維にどう似せるかに研究を重ねたと言っていたが、それも確かに進歩していた。
 私自身は蒲鉾自体をあまり食べないし、第一世代第二世代のカニカマもそれほど食べては来なかったが、もしかすると、第三世代のカニカマで芙蓉蟹(ふようはい)を作ると、ホンモノと遜色のないものができるのではないかと思った。

2026年3月2日月曜日

イランが爆撃された

    小泉進次郎防衛相は「イランの核兵器開発は決して許されない」と表明し、米国の行動に一定の理解を示したと報じられている。
 問題は常々「法の支配といった価値や原則を尊重」と強調してきた態度から、当然非難すべきアメリカ・イスラエルの軍事行動に口をつぐんでいることだ。
 イランの政教一致体制や、その下での女性差別、あるいは表現の自由の制約や弾圧には大いに批判はあるが、だからといって外交抜きで他国が戦争を仕掛けてよいことはない。
 そんな当たり前のことを言えない高市内閣は属国根性丸出しだ。
 「アメリカ、イスラエルは戦闘行為を即時停止せよ」「イランは核兵器禁止の原則に立って真摯に外交に臨め」

 こんな時だからこそ、日本国憲法前文を堂々と発信しようと思う。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

2026年3月1日日曜日

ほんとうの中国

    著者近藤大介氏は、1965年生まれ、東大卒後講談社入社、北京大学留学、講談社北京副社長を経て週刊現代編集次長。明治大学国際日本学部講師など。
 この本を読んで共感するところ大であった。
 確かに奈良公園を歩いていると中国人(中国語)の声は大きい。
 もう一つ、アジア大陸の歴史を学んでいると、民族間の侵略、逃亡、虐殺の規模が違い過ぎる。
 それに比べて「安倍晋三政権時代に流行った「嫌中」派の理屈のナントちっぽけなことよ」と感じていたから、私の感じていた感覚と共鳴した。
 それに小さい頃、戦争に行っていた叔父たちが「中国では”標準語”を話せる中国人が少ないから中国人よりも中国語が話せた日本人はいくらでもスパイができた」みたいな武勇伝?を聞いていたこともある。
 先の「声の大きいこと」について私は、口を開いて破裂音を駆使する中国語のせいかと思っていたが、著者はそれ以外に、①暮らしのスケールが大きい、②声の大きい方が勝つ社会、③「鐘の音のように大声で・・」という学校教育、④周囲に無関心・・・と書いている。
 なにしろ面白い。そして日本人は中国を知らいのではなく、日本人は例外的に世界を知らない民族ではないかと思ったりする。
 米艦の上で、宗主国国王におもねてキャピキャピ飛び跳ねている首相とそれをカワイイと推す若者。
 中国古典の前にこの本を寝そべりながらでも読まれよ! 面白い。

2026年2月28日土曜日

お客さまは神さま

 
    転居前も含めて40年以上この街(NT)に住んでいる。
 最初に転入してきたころの駅前の中心商業施設というと近商を核としたショッピングセンタービルであったが、街が充実してきたころ、イオンを核としたさらに大きなショッピングモールが、より駅前に建った。
 いっときのガソリンスタンド競争ではないが、これで近商は競争に敗れて撤退するだろうと予想したが、私の想像に反して近商は生き残った。
 見ていると、高齢者にとっては使い易い広さ(狭さ)で、いつの間にか、高齢者は近商へ、若い層はイオンへという棲み分けができたようだった。
 また、肉や魚の質も近商の値打ちを上げていた。

 その近商が、しばらくの間休業してリニューアルすることになったので、妻と「どのようにリニューアルするのだろう」と予想をしあった。
 「あのコーナーは使い勝手が悪るかった」「あのコーナーとあのコーナーはダブって無駄だった」などなどといいあいながら、「結局、時代の流れでイオンのようにセルフレジを大幅に導入するのだろう」と予想した。
 そしてリニューアルオープンしたところ、全体的に通路が広くなって行き来しやすくなったり、成城石井が入ってバラエティーが豊かになったりしたが、予想の本命であったセルフレジは拡大されていなかった。そして、多くのショーケースが低くなっていた。
 ナルホド、近商の経営戦略の方が私の予想よりも的確な判断をしたようだ。
 つまり、いっそう高齢者が買い物をしやすいスーパーというように、イオンとさらに差別化を図ったように見える。
 シルバー民主主義などとの悪罵に敗けるな高齢者。社会が高齢者に寄り添うべきでよいのだ。

2026年2月27日金曜日

SNS選挙

    25日に自民党のネット戦略に触れて書いたが、ジャーナリスト河野慎二氏によると「1月26日に公開された高市動画は2月7日には再生回数が1億6000万回を超えたが、これが広告として再生された場合、1回につき2円が支払われたとすると、広告料は3億円以上になる」としている。要するに自民党はそれほど支払った。
 他の自民党の動画と併せるとさらに驚くような額になるが、自民党の政党交付金約125億円からすると痛くも痒くもないだろうとデイリー新潮は言っている。
 そしてこれに便乗するユーチューバーが切り抜き動画などでさらに拡散したのだろう。先のデイリー新潮は、主に参政党関連で稼いだユーチューブ・チャンネルの人の話として、「完全にショート動画一本勝負で最高月額400万円稼いだ」と書いている。
 こういう事実が積み重なると、ユーチューブでは自民党の動画が優先的に上位に表示される仕組みなのでネット社会を席巻したようだ。
 ただしAIが反自民には反自民を反映させるという憎らしい小技もあり、ネットの手のひらで庶民悟空は踊ったことになる。
 以上がいわゆる高市旋風の実態だが、デイリー新潮は要旨「自民党広報本部の広報戦略局には大手広告代理店の社員が常駐していて、選挙期間中の会議には広報本部や選対本部、組織運動本部の職員に加え代理店の社員も参加し、実際は彼らに頼りきり(自民党関係者)」と書いている。
 テレビやラジオのCMや、もっと身近なビラについては枚数や配布できる場所まで厳しく制限しているのに、インターネット上の「政党の政治活動」という形にすれば青天井というか底なしというか、自民党のトランプ化を感じる。
 このような大きな問題のあるネット社会だが、オールド民主主義者がその問題点をアウェイで主張することもなく、蚊帳の外から愚痴を言っているだけでは、蚊帳の中の若い人々の共感を呼び起こすことは困難な気がする。

2026年2月26日木曜日

トンビ 2

    トンビ(鳶)のことは2025年12月13日に「もう長い間見た記憶がない」と書いたが、この23日に庭に出ていると、頭の上でピーヒョロヒョロヒョロと間違いなくトンビの声がした。2羽のトンビが上昇気流を捕まえて舞い上がっていた。(写真はスマホで撮ってパソコンで拡大した)
 海や川の近くなら珍しくもない光景だろうが、内陸?のわが家では珍しく、懐かしい日本の原風景を感じた。
 ピーヒョロヒョロヒョロの声もいい、ほとんど羽ばたかず上昇気流だけで舞っているのもいい。

 鳶は残飯や死骸を漁るので現代ではパッとしない鳥という印象があるが、天皇即位の礼では、「霊鵄形大錦旛」(れいしけいだいきんばん)が飾られる。
 それというのも、日本書紀神武紀には鳶(鵄)が出てくるからだろう。
 神武(天皇)が長髄彦と戦っている際に、金色の鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、東征軍が勝利することができたとされる。この鵄を指して「金鵄」(きんし)と呼ぶ。
 戦前は武勲をたてた兵に対して金鵄勲章が下賜され、煙草にも金鵄という煙草があったが、金鵄の包装紙が道に捨てられたり踏んづけられたりするのは不敬だというので昭和15年に「ゴールデンバット」に変更された。
 中華文明では目出度いとされている蝙蝠もいらぬとバッチリだった。

2026年2月25日水曜日

犯罪に近い


    ジャーナリスト沢木啓三氏の『メディアをよむ』(222日付赤旗日曜版)によると、今回の選挙ではインターネットの比重がますます高まったとして、10日の読売出口調査では、投票先を決める際に「SNS・動画投稿サイト」を最も参考にしたと答えた人が24%に上ったこと、そのうち35%が比例区の投票先を自民と回答し、昨夏の参院選の7%から大幅に増えたことを紹介している。 
 また14日のTBS「報道特集」では自民党のネット動画が選挙期間中に1億6000万回以上再生されたことについて専門家は、動画に「いいね」が付いた割合が0.02%と非常に低かったことから、「広告によって再生回数を増やした可能性が極めて高い」と分析していると紹介している。 
 確かに、私ならそれほど共感できる動画なら「いいね」を付けるから、0.02%は異常な感じがする。 
 そこで思い出したのは、2020年に発生した愛知県知事リコール署名大量偽造事件である。
 事件の発端は、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」企画展の一部内容に河村たかしや高須克弥それに日本維新の会の面々が起こした知事リコール署名だったが、署名活動が伸び悩んだため、事務局長であった維新の元県議田中孝博らが名簿業者から名簿を購入し、アルバイトを使って署名を大量に偽造したものだ。 
 翻って、今般の自民党の動画だが、証拠はつかめていないが、広告会社に発注して、大量のアルバイトに日がな一日特定の動画を再生させ、その結果You Tubeで最上位にお勧めとして紹介されるようにしていたのではないかと想像するがどうだろう。
 自民党には、Dappi事件のように、この種の不正にかかわったと推定される前科?もある。
 *「動画の収益化」の仕組みについて、より具体的にご存知の方はご教示いただきたい。

2026年2月24日火曜日

ヒマラヤユキノシタ

    この花の名はヒマラヤユキノシタ。いつ、どういう経過でわが家の庭に咲くようになったのかの記憶はなくなっている。
 買った記憶がないから何方かから分けていただいたのだろう。
 ずいぶん昔から、広がりすぎて随分捨てたが今でもこのように残っている。
 わが家ではほゞ雑草扱いされた可哀そうな花である。
 名前のとおり、ほとんどの草花が縮み上がるような冬季に花を咲かす。
 アフガンから中国東部の西域が原産地らしいから、その名もほゞ同意。
 文章で好きな中央アジア、シルクロードの風景を想像させてくれる。
  

2026年2月23日月曜日

光の春

    ミラノ・コルティナからグンと下ってイタリアのブーツの踵の東、アドリア海の対岸バルカン半島にアルバニアがある。
 1970年代頃この国は毛沢東主義を掲げ鎖国のような状態だったが、テレビでは夕食後多くの庶民が散歩しているのを報じ、貧しくて可哀そうな国だと感じたことを思い出す。
 さて現代、寒い日もあるが立春も過ぎ「光の春」は我が街を覆っている。
 そうすると、どこからともなく人々が湧きだしてきて、一人で、あるいはご夫婦で、散歩の人々が目立ってくる。わが家はそういう道筋にある。啓蟄などという言葉を連想する。
 そして思う、かつてアルバニアの散歩の様子を同情的に見ていたが、散歩ってけっこう健全で正しい?生活態度ではないかと。
 「ここへ行かなければ流行に後れるぞ」というようなCMなどに急かされる様に人工的な場所や行事に行って反対に季節や自然を感じないまま過ごすよりも、もしかすると、散歩って結構豊かな人生かもしれない。
 痩せ我慢かもしれないが。

2026年2月22日日曜日

枚方のプール跡

    ABCテレビの「ニュースおかえり」の中の「なんでやねん」というコーナーが面白いということは25年11月3日に書いたが、先日のそのコーナーは「枚方の住宅街のど真ん中にプールがあるのんなんでやねん」であった。 
 枚方には勤務していたこともあるが、当時の私は内勤だったので何も知らない状態でテレビを視たのだが、私の予想は「禁野弾薬庫の工員たちのためのリクリエーション施設ではなかったか」であった。
 というのも、以前にこのコーナーで「玉造に古いビリヤードがあるのんなんでやねん」が放送され、大阪環状線(城東線)がなかった当時、大阪砲兵工廠の工員たちは鶴橋から歩いていたので、その途中の玉造は繁華街であったと放送された記憶があったからである。
 そして枚方のプールの私の答えは、ほゞ及第点のようで、戦前、やはりここには禁野火薬庫と大阪工廠枚方製造所があり、工員の慰労も兼ねた映画館やプールがあったということであった。
 なお陸軍禁野火薬庫は昭和14年(1939年)、死者94人負傷者602人という大爆発事故を起こし、これは危険だということで、もっと田舎の方(東の方、京都府精華町周辺)へ移転となった。それが現在の自衛隊祝園弾薬庫である。
 先日、住民税の申告のために精華町の役場に行って、玄関前駐車場から西の方をスマホで撮影した。
 実に長閑な田園と森の風景であった。
 私は長い間、その森をただの立派な里山だと思っていたが、それが禁野火薬庫の移転してきた祝園弾薬庫の大きな土塁だったと知ったのは住み始めて後のことだった。
 いまその弾薬庫に敵国先制攻撃に使用できるミサイルを保管できるようにする工事が進んでいる。
 先制攻撃の目標は敵国の基地や弾薬庫とされているから、その敵国は同じ発想で「さらに先制」しようとするに違いない。
 外交抜きの軍事力で戦争を抑止するという発想は、果てしない軍拡競争と、ちょっとした行き違いからの戦争勃発の危険を止められない。
 長閑な森は長閑でない。

2026年2月21日土曜日

黒塚古墳の時代

    日本書紀が第
10代と書いている天皇の名は、ミマキイリビコニエであり、諡号(しごう・おくり名)は御肇国天皇(はつくにしらす天皇)。後に付けられた漢字の名前が崇神天皇である。
 この御肇国天皇という諡号からも、神武天皇の物語と欠史8代の天皇というプレ大王時代を経て、事実上の初代大王(天皇)は崇神天皇であろうと言われており、日本書紀崇神紀には、プレ大王時代を含む大和王権の最初期の征服戦争の記録と記憶が反映しているとみられる。
 日本書紀以前には、現存はしていないが「帝紀」などがあったのは確かであるから、少なくとも歴史の欠片は書紀にはあるはずだ。
 考古学的には、巨大な前方後円墳である箸墓古墳(290m)が大和の東南部に最初に築造されたのち、前方後円墳の時代が始まり、その次の次の巨大前方後円墳である行燈山古墳(242m)が崇神陵だとの意見が多いが、黒塚古墳(全長約134m)は、同時期もしくはそれ以前にが築造されている。
 岸俊男氏による旧豪族分布図によると、以上の古墳は全て三輪山の麓の纏向にあり、北に接して物部、その北に柿本や和珥などの豪族がいたとしている。
 それらの年代であるが、魏志倭人伝では卑弥呼の死は250年ごろ3世紀半ばと考えられ、箸墓古墳は3世紀中盤~後半と考えられている。これらのことから、倭人伝の卑弥呼の死後大いに乱れその後台与が立ったころから権力の集中が始まったのではないか。
 ただ、倭人伝と記紀は合わないので、神聖政治の台与の時代の後、本格的に権力を集中した大王の時代が始まったとも考えられ、その先頭に崇神がいたと考えられる。
 ということで、17日の記事の補足ナリ。
 写真は黒塚古墳石室発掘時のレプリカ。

2026年2月20日金曜日

御一新のリアルから

    物事はリアルに理解する必要がある。
 先日来岩波新書の木村哲也著『宮本常一』を読んでいるが、そこに「ナルホド」と思った記述があった。
 宮本常一が、祖父や外祖父から聞いた御一新(明治維新)の聞き書きなのだが、何故反幕府軍が強かったのかという一側面のことだった。
 普通の歴史書なら世界が産業革命にまい進する中取り残された幕府軍の思考や兵器、もっと言えば貨幣経済の時代に乗り遅れた幕府政治や封建制度などなどいろんな切口があっても・・宮本常一の聞き書きでは、少し違って次のようなものだった。
 場所は宮本の故郷長州の周防大島で、幕長戦争の一つの戦場でもあった。
 その頃長州ではそうだったらしく、百姓であった祖父も、さらには祖母も刀や薙刀の稽古をしていたという。
 そういう百姓たちは、昨日まで威張っていた武士に並んで、否、武士以上の働きができる機会だと、嬉々として戦場に出たと記述している。ナルホド、封建制度の崩壊というのはそういう生き生きとしたものでもあったのか。
 唯物史観の理論もそういうリアルな目と合わさって時代を豊かに捉えることができるのだろうと思った次第。
 翻って現代史そのものだが、悪政は必ず矛盾を拡大する。正しい批判は必ず広範な市民の要求と合致するから反撃できる。そのためにも自覚的な人々が自力をつけることが早急の課題だと聞くが、間違ってはいないがリアルな分析ではない気がしてならない。
 野村克也氏の言葉ではないが「負けに不思議の負けなし」だ。
 どの指摘が正しいかどうかでなく、そういう議論をしようともしないリベラルには不満がある。

2026年2月19日木曜日

別れ

    古い親友との別れがあった。
 文字どおり70年代を走ってきた兄弟だ。
 人情味があり、かつ実は学者肌のところもあった。
 若い頃、私はある意味、知ってイケイケドンドンを担当したが、それをどれだけ補ってくれたことか。
 滋賀の遠くからも駆けつけてくれた友もいた。兵庫の先輩からも思い出のメールがあった。
 あまり馴染みのないスタイルの別れだったので戸惑ったが、出ていくクルマに思いっきり手を振った。思いっきり。

2026年2月18日水曜日

朝蜘蛛は

 
    「朝蜘蛛は殺したらあかん」と親から教わり、そして子どもたちにも伝えてきた。
 そのこころは、蜘蛛は益虫(昆虫ではないが)だからと子どもたちには説明してきたのだが、言い習わしでは「夜の蜘蛛は殺せ」とつながるから、論理的には益虫説は成り立たない。
 蜘蛛は天気の良い日に網を張るから、朝蜘蛛が目についた日は晴天でなんとなく良い日が来るだろうといったところか。
 わが家では基本的に家蜘蛛(ハエトリ蜘蛛)は殺さない。

    そんな日、庭のバードバス(野鳥の水飲み場兼水浴び場)にツグミがやってきたので、ガラス戸越しにスマホで撮影した。
 今シーズンはツグミが少ないなあ、ツグミの世界に鳥インフルエンザのような不幸な出来事が起こったとか、渡りの途中で丸焼きにされたりとか、などと心配していたから、ちょっと嬉しい出来事だった。やはり朝蜘蛛は良いことを運んできてくれた。

2026年2月17日火曜日

黒塚古墳の被葬者を考える

    わが国最古の歴史書は日本書紀であるが、それは神話から始まっているし、第二代から第九代までの天皇にはさしたる記事もなく「欠(闕)史八代」と呼ばれているし、世界中の歴史書同様潤色も多く、かつ書紀編纂当時(奈良時代、養老
4年、720年)の勝者の論理が反映している。
 さらには太平洋戦争の敗戦までは、それを絶対的史実として批判を許さなかったものだから、反対に現代では、古代史を科学的に考える際、日本書紀を参考にするなどもっての外という意見もある。
 だがしかし、埼玉(さきたま)稲荷山鉄剣の金鐯銘では、辛亥年(471年)にこれを作る。自分はワカタケル(雄略?)に仕えてきた。七世前の上祖はオホヒコだと読めて、それは日本書紀の記述と矛盾しない。
 さて、その日本書紀崇神紀には崇神天皇が4人の将軍を全国に派遣して征服戦争を行ったことが次のように書かれている。

    【崇神九年九月九日、大彦命(オオヒコノミコト)を北陸道に、武淳川別(タケヌナカワワケ)を東海道に、吉備津彦(キビツヒコ)を西海道に、丹波道主命(タニワノミチヌシノミコト)を丹波(たんば)に遣わされた。
そして、詔(みことのり)して「もし教えに従わない者があれば兵を以て討て」と言われた。
それぞれ印綬(しるし)を授かって将軍となった。】 

これに関して小笠原好彦先生は、「3世紀に文字どおりの印綬(いんじゅ)はあり得ないだろうから、最初期の前方後円墳である桜井茶臼山古墳やメスリ山古墳などから発掘された儀仗形石製品こそ大王から委譲された権限を象徴するレガリア=印綬(しるし)であったであろうと指摘されている。(黄門様の印籠をイメージされたい)
その後よく似た儀仗形製品は副将軍と推定される古墳からも発掘されている。
 
続いて日本書紀は、【大彦命は和珥の坂(わにのさか、もしくは、山背の平坂)に着いた。
時に、少女が歌った。ミマキイリビコハヤ、オノガヲヲ、シセム卜、ヌスマクシラニ、ヒメナソビスモ。御間城入彦(ミマキイリビコ、崇神天皇)よ。あなたの命を殺そうと、その時を窺っていることを知らないで、若い娘と遊んでいるよ。
そこで大彦命はこれを怪しんで少女に尋ねた。
「お前が言っていることは何のことか」
少女は答えた。
「言っているのではなく、ただ歌っているのです」
またその歌を歌うと、急に姿が見えなくなった。
大彦は引き返して、その仔細を報告した。
天皇の姑おばである倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)は聡明で、よく物事を予知された。
その歌に不吉な前兆を感じられ、天皇に、「これは武埴安彦(タケハニヤスヒコ)が謀反を企てている兆候であろう。聞くところによると、武埴安彦の妻である吾田媛(アタヒメ)がこっそりきて、倭の香具山の土をとって、頒巾(ひれ(女性が襟から肩にかけた布))の端に包んで呪言(のろいごと)をして、『これは倭の国のかわりの土』と言って帰ったという。これでことが分った。速やかに備えなくては、きっと遅れをとるだろう」と言った。
そこで諸将を集めて議せられた。
幾時もせぬうちに、武埴安彦と妻の吾田媛が、軍を率いてやってきた。
それぞれ道を分けて、夫は山背(やましろ)より、妻は大坂(おおさか)から、共に京(みやこ)を襲おうとした。
そのとき、天皇は五十狭芹彦命(イサセリヒコノミコト(吉備津彦命))を遣わして、吾田媛の軍を討たせた。
大坂(おおさか)で迎えて大いに破った。
吾田媛を殺し、その軍卒を尽く斬った。
また、大彦と和珥氏(わにのうじ)の先祖、彦国葺(ヒコクニブク)を遣わして山背に行かせ、埴安彦を討たせた。
そのとき、忌瓮(いわいべ(神祭りに用いる瓮))を和珥(わに)の武録坂の上に据え、精兵を率いて奈良山に登って戦った。
そして、官軍が多数集まって草木を踏みならした。
それでその山を名づけて奈良山とよんだ。
また 奈良山を去って輪韓河(わからかわ)に至り、埴安彦と河をはさんで陣取り挑み合った。
このことから、当時の人は改めて、その河を(挑河いどみがわ)と呼んだ。
今、泉河いずみがわというのは、これが訛ったものである。
埴安彦は彦国葺に尋ねた。
「何のためにお前は軍を率いてやってきたのだ」
彦国葺は答えた。
「お前は天に逆らって無道である。王室を覆そうとしている。だから、義兵を挙げてお前を討つのだ。これは天皇の命令だ」
そこでそれぞれ先に射ることを争った。
武埴安彦がまず彦国葺を射たが、当らなかった。
ついで彦国葺が埴安彦を射た。
これが胸に当って殺された。
その部下たちは怯えて逃げた。
それを河の北に追って破り、半分以上首を斬った。
屍が溢れた。
そこを名づけて羽振苑(はふりその(屍体を捨てた場所。今の祝園))という。
また、その兵たちが恐れ逃げるとき、屎(くそ)が襌(はかま)より漏れた。
それで甲をぬぎ捨てて逃げた。
逃れられないことを知って、地に頭をつけて「我君あぎ」(我が君お許し下さい)といった。
当時の人は、その甲を脱いだところを伽和羅(かわら)と言った。
揮から屎が落ちたところを屎揮(くそばかま)と言った。
今、樟葉(くすは)と言うのは、これが訛ったものである。
また地に頭をつけて「我君あぎ」といったところを「我君わぎ」(和伎わきの地)という。】
 
    本題に入る。
小笠原好彦先生は古代史講座の受講生に対して「黒塚古墳の被葬者を考えよ」と宿題を出されたので、以下が私の答案骨子である。
黒塚古墳は初期の大王墓(後にいう天皇陵)である行燈山古墳などのある柳本古墳群にあり、全長134ⅿと超巨大ではないが、竪穴式石室、巨木をくり抜いた木棺、川原石と板石による合掌式の石室、三角縁神獣鏡ほか大量の銅鏡の埋納などから、白石太一郎先生の分析などではその中でも最初期(3世紀後半)の前方後円墳だとされている。
そこで私は、同古墳と、同古墳展示館を訪れた。一番確認したいことは「謎のY字型鉄製品」だった。展示館には精巧なレプリカが展示されていた。
材料は異なるが、それは桜井(外山)茶臼山古墳出土の儀仗形鉄製品とよく似た特徴的な頭であった。四道将軍や副将軍の古墳から出土したものと類似したレガリアに相違ない。
また副葬品には刀、剣、鏃(鉄製の矢じり)等々の武器が多く、武人であることも間違いない。
とすれば、崇神の命により山背で武埴安彦を討った和珥氏(わにのうじ)の先祖、彦国葺(ヒコクニブク)こそが黒塚古墳の被葬者ではないか。ヤマト王権最初期の大きな戦の英雄?だった。
和珥氏の系図では、彦国葺は、第5代孝昭天皇の4世の孫とあるから(第8代孝元天皇の皇子とも)、崇神の時代にはいわば皇族であって、柳本古墳群内に古墳築造を許されたのではないか。(後の和珥氏一族の支配地域は天理市北部から山背や近江等に拡大し、その中に柳本が含まれるかどうかは解らないが、例えば天理市和邇町や和珥池もそれほど遠方でもない。和邇下神社もある)
その和邇の土地は膳臣の土地でもあり、膳臣は大彦命についた副将軍でもあったから、和珥氏も大王家の近親であったのではないか。あるいは墓域についてのルールが確立される前であったので、大王陵(天皇陵)の近くに築造することができたと考えられないだろうか。
この推測を補強するものはないかと、別途、戦場と思われる山背(京都府精華町)の祝園神社を訪れたが由緒の割には無人であった。なお祝園神社の『いごもり祭』は武植安彦の魂を慰め豊作を祈る神事として、京都府の無形民俗文化財に指定されている。
祝園神社の少し南方の『いごもり祭のとんど会場の広場』には、『崇神帝十年役 武植安彦破斬旧跡』という石碑が静かに立っていた。
いごもり祭といい、この石碑といい、少なくともこの地には武植安彦の伝承が生きていた。
答案用紙どころか、感想文もどきの変な文章になってしまった。

追伸 歴史講座で席を同じくしていたFさん、黄泉の国でこれを読んで笑ってね。