昨日は、『紀元前660年に大和(奈良県)に国家が成立し大王(後の天皇)が即位したというのは「歴史の偽造」にあたる』ということを書いたが、紀元後の3世紀には大和(奈良県)に群を抜いた大王が誕生し初期国家=ヤマト王権が成立したというのは間違いない。
では何故、その地が日本列島の中の大和(奈良県)であったのかというのは私の中で少し謎であった。
考古学的な検証では、弥生時代の先進地は大陸との玄関口でもあった北部九州であったが、後に、大和や河内(和泉)でも巨大な集落が形成されていた。それでもそこが「何故大和か」ということがあった。
これに関して小笠原好彦先生が、他のテーマの講演の中で触れられた指摘に大いに納得するものがあった。
それは大和平野の河川の特異性であった。
稲作が進んだ弥生時代には、水の管理が非常に大事であったが、例えば水争いは近代でもあったし、例えば水路の清掃という共同作業は現代でも農村では普通に大切だ。
そしてもう一つ、河川は、当時の物資のハイウェイであり鉄道網だった。
このため、一つひとつの河川、水系ごとにリーダー(豪族)が誕生していったことは容易に理解できる。
さて、日本列島には背骨のように山脈があるので、ほとんどの河川はそこを源として、日本海へ、あるいは太平洋側へ、小さな支流を集めて流れていったから、ある河川を支配する豪族と、隣の河川を支配する豪族は、並立することが可能であったし、事実そうなっていた。
ところが、大和平野(奈良盆地)は極めて特異で、北から南へ流れる川も、東から西に流れる川も、南から北へ流れる川も、すべてが盆地南西部で大和川一本に合流し、河内へと流れていくのだった。
上流で決壊すると下流で合流する他の河川でも困るし、下流で詰まると上流で洪水が発生する。また、河内から瀬戸内海とのルートが止まる。
こんな、大きな平野の河川が一本に合流する地域は大和以外にはない。
つまり、大和の河川ごとの豪族は、他の河川の豪族と協力しないと己の河川の維持もできなかった。
ここに、豪族の中の大豪族が生まれる決定的な理由があった。・・・という指摘だった。
大いに納得したが、勉強にはきりがない。いろんな角度からもっと考えていきたい。
それにしても、楽しい講演だった。

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