2023年7月16日日曜日

西文氏(かわちのふみうじ)

   高校時代、政治経済の先生が、ことあるごとに山根徳太郎博士の難波宮発掘を熱く語っていたことが懐かしい。
 大阪市中央区法円坂の難波宮跡は、先の戦争中は陸軍第8連隊の兵舎(群)となり、そういう建物が残っていた1960年代、まさか自分がそこの地で働くとは思いもよらなかった。

 難波宮というと、応神天皇16年(285年)百済から渡来した王仁(わに)博士が、仁徳天皇即位の折に梅の花を添えて奉じた歌が、『難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」とされている。

 この王仁の子孫を名乗るのが西文氏(かわちのふみうじ)で、昨日の記事に登場した葛井(ふじゐ)連(むらじ)はその一族である。少なくとも、王仁とともに渡来した一族だった。
 その後、今の藤井寺市、羽曳野市を根拠に当時の先進的な学問をもって朝廷に仕えた。

 なお、別の有力な渡来集団には東漢氏(やまとのあやうじ)がいて、こちらは蘇我氏の配下でさらに大きく朝廷に食い込んだ。

 このように考えると、日本文化の基層には紛れもなく大陸や半島の文化があり、そのことは何ら卑下することではないから、やたらに「ニッポンスゴイ」と叫んでいるネトウヨの皆さんには教養が少し欠けていないか。

 ちなみに中国で墓誌が発見された遣唐留学生井真成とは葛井氏であったというのは東野治之先生の見解である。
 (写真は葛井氏の氏寺藤井寺)

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