2021年4月12日月曜日

庭の木を見る

   ニュース読者の先輩からお礼の葉書をいただいた。葉書には「桜の季節になると、いつも、来年も観られるかなと思います」とあった。

 確かに私も、ターミナル(終着駅)らしきあたりから逆算するとこの2シーズン(コロナ禍の2年)の浪費?は悔しい。それは子どもたちのかけがえのない2学年もそうだろうし介護やいろんな場面の日々もそうだろう。そういう意味で、オリンピックだ、トコーソーの住民投票だと言ってコロナ対策を空転させた政権等の罪は重い。

 一方、コロナだ非常事態だという人間界の喧騒をよそに、今年も満開になった桜や花々は偉い。写真はシラタマミズキ・オーレアという樹の控えめだが清々しい花を2階のベランダから撮ったものである。

 2018年5月1日のこのブログで要旨次のとおり私は書いている。『ネット通販でタキイ種苗のシラタマミズキのオーレアというのを買った。近所の研究所にミズキがありさわやかな印象があったところに「紅葉がきれい」という宣伝文句に心が動いたものだが、書いてあったとおりほんとうに30㎝の小さな苗木である。この木が庭の主木になる頃には私は老人ホームあたりに入っていないだろうか。紅葉が輝くミズキを夢見て肝心の自分の年齢を忘れていた』と。

 しかしおかげでもう私の背丈を超えている。数か月前に書いたところだが、大臣のことを指す〇〇相の相という漢字のことを思い出す。白川文字学では、『木と目を組み合わせた形。樹木の盛んな生命力はそれを見る人に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので「たすける」の意味になる』と。

 〇〇相は置いておいて、巣ごもりの日々だが樹木のおかげで生命力を戴いている感じがしている。花もいいが若葉もいい。木や花や野菜の手入れをしていると年単位で物事を考える場面が多い。それは今後ほゞ何回それができるかという思いとつながる。年単位で物事を考えると時間は惜しい。いろんなことを考えていろんなことに挑戦したいと思ってくる。

2 件のコメント:

  1.  3年連用日記には去年の今頃、身内のコロナ感染があり、見舞いに行けないもどかしさ、LINEの有効性に救われた感じがしたこと、大阪は感染者数が100人に迫るという報道に大きな危機感を抱いた事などが書かれている。
     そして今、大阪は感染者が800.900人となり、「大阪の感染者数は右肩上がりです」などと宣う知事では府民は助けられないということはハッキリしています。
     江戸の名奉行、大岡越前守の名前は忠相(ただすけ)でした。

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  2.  そうですか、去年の今ごろは感染者数が2桁でみんな悩んでいたのですね。茹で蛙ではありませんが、1年かけて無責任な政治に付き合うとみんなある種の鈍感になっているように思います。
     さて、宰相たちは誰を助けるのでしょう。古くは天皇を助けていたのですが、現憲法下では国民を助けなければならないのは自明のことです。しかし実態は恐ろしい程古臭い縁故主義、それがモリトモ、サクラ、エトセトラです。酷いものです。

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