2020年2月1日土曜日

京の四方参りと「乾の隅にどっさりこ」

   北野天満宮のことを検索していたら、北野天満宮が『乾天神』とも言われていることを知った。
 そして、京都の節分には、四方参り(よもまいり)というお参りの仕方があることも知った。
 御所を基準にして、四つの神社仏閣をお参りするもので、北東:吉田神社、南東:八坂神社、南西:壬生寺、北西:北野天満宮となっているので『乾天神』は納得、納得。

 陰陽道では、鬼(邪気)はこういう「陰と陽の境目」の「気が不安定」なところから入ってくるので、ここを清め祓うことは昔から大切な行事だったわけ。 そして節分も季節の境目。平安貴族は専らこういう行事に日々を費やしていた。

 で、「表鬼門」(北東)の吉田神社で鬼を祓い、追われて逃げた先の八坂神社でさらに祓い、さらに壬生寺で祓い、最後に北野天満宮で『封じ込める』との「思想」である。
 なお、北野天満宮の追儺式で鬼を退治(封じ込め)するのは、主祭神である天神さん(菅原道真公)ではなく、境内の摂社に祀られている福部社の神とされている。

 このブログの古い読者は「はは~あん」とお察しのとおり、わが家に伝わっていた「鬼は外、福は内、乾の隅にどっさりこ」という豆まきの時の「唱え言」のルーツは、大阪というよりも古い京の都のならわしだったかもしれない。
 都の古いならわしは都の外にこそ残るとも言われるから、大阪の方に色濃く残っていても不思議でない。

 前述のとおり、三つの神社では鬼は追い払われるが、最後の北野天満宮では追い払われるのでなく封じ込められるという。
 わが家の「唱え言」も一通り「鬼は外」「福は内」と豆まきをした最後に、「乾の隅にどっさりこ」と置くように撒いて戸を大きくガシャンと閉めることと伝わっている。何となく符号が合う。

 「自国の文化を知らずして国際交流もない」という声もあるように、少々荒唐無稽であっても、現代社会に害を与えるようなものでない限り、ならわし、年中行事のようなものは大事に子孫に引き継ぎたいものだ。
 古い大阪では、豆まきの最後には「乾の隅にどっさりこ」と豆を置くように撒いて終わったものだった。

2 件のコメント:

  1.  節分や乾の隅にどっさりこ

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  2.  親から引き継いだ伝統を守り伝えるのは楽しいことです。幾千万人と雖も吾行かんという気概で豆まきをしております。

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