2020年2月11日火曜日

役小角(えんのおづぬ)

   ご存知のとおり、歌舞伎十八番の一つ『勧進帳』は焼失した東大寺大仏殿再建のための勧進に、東(あずま)へ下る山伏一行(義経と弁慶ら)の話である。
 芝居の話ではあるが、山伏が東大寺の勧進に廻るという筋立てに観客・庶民は全く違和感がなかったのだろう。

 奈良では現代でも、南都のお坊さんと金峯山寺の山伏が一緒になる行事等が少なからずある。(元興寺の節分会では山伏によって護摩が焚かれ火渡りの行事が行われる)
 東大寺を含め多くのお寺が山中で修行することは珍しくなく、明治の廃仏毀釈以前は神仏は集合しており、山岳修行のエキスパートでもあった山伏がごく普通に、寺社周辺で宗教行事を行っていた。
 そして、明治の国家神道成立時に一番弾圧された宗教の一つが修験道であった。

 先日、わが街の『ぶらりまち歩き』というパンフレットを見つけたら、自宅のすぐ近くのコースがあったので驚いた。
 メーンは家康が伊賀越えの際一泊した山田の里などだが、わが家すぐ近くの小高い丘の上の役行者石像に寄るというコース設定だった。
 この石像は寛政3(1791)年の銘文が彫られていて、大峰にまでは行けない人々がここへ詣でたと言われている。

 私は知っていたが妻が「そんなの知らんわ」というので一緒に散歩した。
 横に墓地があるので普通には人々の散歩コースでもないが、それだけに、すぐ下がニュータウンと呼ばれる住宅街だとは想像できないような、そして明治の弾圧など忘れたような平和な林の風情だ。
 ただ昨今、政権周辺には靖国・国家神道強制派が蠢動している。
 「一民族だ」「万世一系だ」などと副首相が発言してもジャーナリズムの反応は鈍い。
 天皇に弾圧された役小角像を見ながらそんなことを考えた。(文武天皇3年(699)流罪)
 自然に想定外などない。自然は好いことももたらすが恐ろしいことももたらす。そういう謙虚な自覚が日本の宗教の根幹ではないかと私は思っている。「アンダーコントロール」などと言う傲慢が社会をゆがめている。

   明治の狂見ていたであろう行者像

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