日本文化を語るとき、「室町を学べば日本が判る」とか「基層は道教」とかいろんな角度から指摘することができるが、やはり「仏教芸術」は日本文化の大きな柱のひとつとして外せない。
事実、国宝や重文に占める仏像の割合は小さくない。
ところが、インドの原始仏教は仏像を製作しておらず、その偉大な思想は車輪(法輪)などによって象徴的に表現されていた。
浅薄を顧みず語るのも気が引けるが、仏像芸術を生み出したのはインドではなく、インドの北西のガンダーラであった。アフガンからパキスタンあたり、そして広義には次に述べるウズベキスタンあたりである。
土曜日、ウズベキスタンのサマルカンドの8世紀カフィル・カラ城遺跡の発掘調査団の報告を聞きに帝塚山大学に行ってきた。ソグド人の都市遺跡だ。
私の興味のひとつはどのようにしてシルクロードで仏像が誕生したのか。そしてボヘミアンラプソディーで興味を得たその地のゾロアスター教とそれらはどう関わっていたのかであった。
結論を先に言えば、私の興味と調査報告とはあまり噛み合わなかった。
それでも、古代のクシャン朝はシルクロードの民らしく多様な宗教に寛容であり、ギリシャの宗教、ゾロアスター教、そして仏教が融合し、その中から仏像芸術が生まれてきたらしいことはよく解った。
近頃やたらと「ニッポン偉い」と言って大陸のアジア文化を軽蔑する人々がいるが、大きな歴史のモノサシで語るならば、それは自分の両親を軽蔑しているようなものではないだろうか。
井の中の蛙という言葉があるが、世界は広く歴史は深い。
報告者の宇野隆夫教授が、発掘された「鶏の群がる聖樹の金冠」と韓国の金冠、そして藤ノ木古墳の金銅冠の類似性について熱く語っておられるのが印象的だった。
梅の香や平城(なら)仏の故地はクシャン朝
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