12日に奈良東大寺二月堂の修二会に行ってきた。
と言っても午前中から昼過ぎまで。
12日の夜(正確には13日の未明)はお水取りの本番だから夜は大混雑と聴いている。
反対にこの時間帯は空いていたので、静かにゆっくり座り込んでお参りをしてきた。
参籠所の籠りの僧の皆さんはいよいよ見せ場といえば失礼だが元気に華やいでいた。
ただ白い紙衣が煤汚れて荒行の痕を見せていた。
参籠所には天狗が外を睨んでいた。
確か修二会の開始に当たっては天狗を静かにさせる祓えがあったはず。
有名な「神名帳奉読」を言うまでもなく、神も仏も全く一緒のこの空気感は嬉しい。
午後は古代史の勉強に行ってきた。
講師の小笠原好彦先生が前日の新聞に直木孝次郎先生の追悼文を書いていたので、それにサインをいただいた。
おかしい言い方だが、これでただの切り抜きではなくなった気がする。
小笠原先生は当日のテーマではなかったが、直木先生の論文に言及され、天平18年(746年)の正月、左大臣橘諸兄が元正太上天皇御在所の雪かきに官人らを召集し、そこへ諸兄と対立していた人事担当である式部卿の藤原仲麻呂がやってきて、集まった官人らをチェックして大伴家持、紀清人をはじめ半分以上を地方国司に飛ばした話をされた。そのことを先駆的に指摘されたのが直木先生だった。
天智10年(671年)、唐の郭務悰が2000人で訪れ、近江朝廷が書紀で絁(あしぎぬ)など端数まで記して大量に貢いだのは白村江での捕虜の返還だったからという直木説は、そもそもは私の手元にある本に書いてあった説だったのだが、恥かしながら全く記憶にも残らないような乱暴な読み方をしていた。そういう風に本は読まなければならないと反省、反省。
奈良公園には私よりも10歳は高齢と思われる方々が吟行をされていたが、驚いたのは誰もが100%電子辞書をお持ちで、それを眺めながら575を指折り数えておられたことだった。
その前向きの姿勢にショックに似た感動を覚えた。
梅の香や吟行媼の電子辞書
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