白洲正子著『明恵上人』によると、強い意志で俗世との無縁を貫いた明恵上人と、世俗のトップの執権北条泰時が親しかったこと、御成敗式目(貞永式目)の思想的バックボーンは明恵であったと白洲さんが言っていることが心に引っかかった。
なので、その時代を再確認したくて文春新書・本郷和人著『承久の乱』を読んだ。
その結果、中世史というよりも、中世の肌感覚のようなものが全く解っていなかったと反省している。
その典型が『男衾三郎絵詞』で、『絵巻で読む中世』などで知ってはいたが実は知ってはいなかったと思い知らされた。
武士が男衾三郎の館の前をたまたま通った通行人を捕らえて、「庭に生首絶やすな。切りかけよ。追物射にせよ」となぶり殺しにして生首を供えようという。
男衾三郎のモデルは畠山重忠で、ならず者などでは決してなく、むしろ武士の鑑とされた者、著者は埼玉県警本部長のようなものだと言っている。
つまりこの絵巻では、その凶暴さを非難しているのでなく、むしろ勇猛さを讃えている。それが中世の武士の殺生感で、その感覚が解れば鎌倉幕府の血なまぐさい権力抗争が理解できると書かれていた。
近頃のテレビや書籍では「日本人エライ」が洪水の如く流されているが、自虐でなく公正に歴史を振り返ると、ひとつ間違えば結構危うい民族かもしれないと考えさせられる。
良い歴史も悪い歴史も冷静に判断して議論はしなければならない。
議論を単純化する癖は危険だと思う。
血の臭い中世史読むようずの日 (季語「ようず」とは、春に吹く雨もよいの生ぬるい南寄りの風で、義母はしんどそうに「ようずやな」と言ったりする)
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