多くは白菜と油菜のハーフだが、中には先祖返りして芥子菜風になったものがある。
今年のこの写真の菜の味は“白菜の青いところ”。
適当にむしって冬の間中たびたび鍋料理の具になった。
どういう訳か我が家の土はルッコラと相性が良いようで、ルッコラも今では自生の趣を呈している。
水菜とルッコラを適当につまんで生ハムで巻いたサラダが、この冬何回食卓に上ったことか。
妻は「そのままサラダの盛り合わせで出さずに生ハムで巻いたところが料理であり愛情なのよ」と愛情の押し売りをしてくる。
「はは~」っと頭を垂れるだけである。
各種の菜の花も美味しいけれど、もう少し放置しておくと一寸した菜の花畑になり、道行く方々の目を楽しませることになるので食べるのを我慢する。
そうすると、菜の花畑は郷愁を誘うものらしく、話しかけてくださる人もいる。
この季節、ワンパターンだが ♪朧月夜 を口ずさみたくなりません?
蕪村のこの句は何処で創られたのか、諸説あるようですが一面に広がる菜の花畑が決め手のようです。まーそこは置いといて、来年の春分の日は3月20日のようです。入り日に感謝の合掌をし、振り向くと白い大きな月が浮かんでいる、今年は特別な想いで見ることになるのでしょう。
返信削除高橋治は「蕪村春秋」で「小ボスどもが・・客観写生などと虚子のたわごとを真似ていいつのり・・現代俳句の世界をつまらなくしている・・」と指摘しています。評論できるほどの理論は持ち合わせていませんが、少し琴線に触れる文章でした。
返信削除・・菜の花や鯨もよらず海くれぬ・・蕪村