2011年3月22日火曜日

巨大前方後円墳の実像

 堺市主催の第2回百舌鳥古墳群講演会に参加した。さすが堺市、800名の予約申込みはすぐにオーバーしたらしい盛況ぶり。
 「徹底分析・仁徳陵古墳」がメーンタイトルで、「巨大前方後円墳の実像を探る」がサブタイトル。
 塚口義信氏の基調報告。「記紀は仁徳・履中・反正・顕宗・仁賢・欽明系の王統を是とし、允恭・安康・雄略・継体・安閑・宣化系の王統を非とする思想的立場によって貫かれている。」・・・定説とされているほど仁徳天皇は本当に聖帝だったの???
 樋口吉文氏の講演。「定説とされている明治5年に台風の土砂崩れで石棺や甲冑が発見されたというのは嘘。」・・・公人による故意・計画的発掘だった。(「これまで博物館で嘘(自然崩壊説)を言っていてすみません」には笑った。)
 森下章司氏の講演。「有名なボストン美術館所蔵・伝仁徳陵古墳出土鏡は同型(コピー)鏡のため、伝承の根拠はきわめて薄弱。」・・・里帰り展に行かれた方も多かったのでは・・・。
 加藤一郎氏の講演。「出土した形象埴輪は外堀の土手上にある陪塚のものかも知れない。」
 それぞれ新鮮な問題提起。聞きに来た甲斐があった。
 ほかに阪口英毅氏の講演もあり、椅子も狭く堅くて、午前から午後にわたる日程は些か疲れた。
 それに、奈良あたりの考古学の講演会等では「大仙陵は仁徳陵ではない」というのが常識なのに、ここでは地元の感情がそうさせるのか、まるで「仁徳陵であることは当然」という前提で話されているような気分が濃厚なような気がして気になった。(仁徳陵でなかっても一向に値打ちは下がらないと思うけど?)
 伝仁徳陵が(書紀等で子供とされている)伝履中陵より新しい築造という事実に目をつぶって、仁徳天皇陵と称しながら世界遺産登録を目指すのは肯定できない。
 非科学的な皇国史観に結びつくような態度と決別し、国民共通の遺産として大事にするのがいい。そのためにはタブーを設けてはならない。つくづくそう思う。
 
 
  
 

3 件のコメント:

  1. ふじたはん2011年3月22日 12:57

    こんにちは

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  2.  先ほどふじたはんにお見舞いの電話?をしました。
     長谷やんに誘われたやろお気の毒様・・・まー彼に限らず鬱々とした毎日を過ごしていて、ブログを作成し、コメントしてもらうことで気晴らししているんやろ、時々お互いコメントしながら連絡することで様子を確認しようと電話切りました。
     

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  3. 茅渟の海さん
     落語に「この正直者めが!」というのがありますよ。
     道を歩いていると沈丁花の香り(というより匂い)がしてきます。匂いフェチではありませんが人事異動の季節を連想し、「春愁」という言葉が頭をよぎります。私だけでしょうか。

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