ムクロジに甘えた竹 |
最初は奈良公園・春日大社参道・一の鳥居近く(社殿方向に向かって左側)のムクロジの大木に堂々と屹立する竹です。(知っている人には有名です。当たり前ですか・・・・)
およそ60年から120年に1回だけ咲いた竹の実が、風か鳥か栗鼠かによって「蒔かれた」のでしょう。きっと。
近頃、人間界では「想定外」という言葉が安売りされていますが、竹に言わせれば「120年に1回のチャンスを手放してなるものか」「岩の窪みだろうがムクロジの木の股だろうが当然でしょう」と言ったところでしょう。
こういうのも宿木(やどりぎ)と言うのでしょうね? しかし、間違っても寄生木と書いて「やどりぎ」と読ませたりしないで欲しいものです。
サルスベリに甘えた松 |
「ちょっと借りるよ」「おやすい御用でえ」と、どういうわけか江戸っ子弁で、ムクロジの親切に甘えた竹ってとこでしょうか。
我が家の近所にも、街路樹のサルスベリの枝跡から芽を出した松がありました。
いったい、この苛酷な環境で成長できるかどうか予想がつきませんが、一番高い可能性は、自治体の街路樹の剪定作業の際に「正しく手入れされる」という運命でしょうか。
逞しい宿木を見ながら思う、・・・がんばれ東北、がんばれ日本!
私は「がんばれ」と言う言葉は好きではありません。「辛抱」「耐え抜く」と言う言葉の方が私の肌に合います。
返信削除我慢することによって物事の良し悪しや方向性の分別が見られる様に思います。でも消極的な感じでイメージの暗い言葉ですね。
スノウさん 私は大津波と原発で非常に滅入っています。空元気に空元気を重ねています。労災保険の『職場における心理的負荷評価表』の「悲惨な事故や災害の目撃をした」の平均的な心理的負荷の強度が3段階中の「Ⅱ」であることに、・・「今の自分の精神の不安定さはⅡに違いない」と、妙に感心しています。このため、少し強い言葉で自分自身を鼓舞しています。
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