藤原京の三山は、耳成、天の香久山、畝傍であり、平城京は幾つかの説があるが、平城山、春日山、生駒山というのが通説で、何よりも遷都の詔に「四禽図に叶い、三山鎮を作し(さんざんしづめをなし)」という有名なフレーズがあることから三山思想は間違いなく、平安京も定説に近いものは、船岡山、神楽岡(吉田山)、双ヶ岡とされている。
問題は藤原京の少し前の難波京であるが、大極殿の左右に八角殿があるなど濃厚な道教思想が感じられるにも拘らず、三山思想が感じられないのは何故だろうか。北は河、東は低地、西は海である。
長男夫婦の家から望む耳成山 |
あえて言えば、北に千里丘陵、東に生駒山を眺めていた設計者の頭の中には、後に出現する天保山が浮んでいたのかも知れない。そんなはずはないか。
その昔堺に住んでいた実感からすると、高度成長の以前は、大阪の西側にはいつも淡路島が山のように見えていた。これで三山と見えないか。
それとも、三山に守られなかった難波京は、故に短命に終わり、中世に至っても安土大坂時代であったにも拘らず安土桃山時代と称されて人々の記憶から遠ざけられ、現代でさえ「保身の会」の人士によりカジノをはじめとする下品な街に改造されようとしているのか。
いやいや そんなに柔な大阪人ではない。
先日いかなご漁が開始されたとのニュースは承知していましたが、さっそく賞味とは羨ましい。 釘煮で食べるのはもったいないとのことですが、熱いご飯にも、ビールのつまみにも結構いけますよ。 話は変わりますが、創君が小学五年の頃だったと記憶していますが、和歌山水軒に釣りいったことがありましたね、年をとるはずでですよね彼が結婚したことは、ひげ親父さんから聞いて知っていましたが、孫はまだですか?このニュースは長谷やんから聞きタイものです。それとも、もういるのかな
返信削除茅渟の海さん
返信削除節分の日の「手向山八幡宮のお田植祭」を観賞してください。