2011年3月30日水曜日

現代霊異記・孝謙天皇陵前

 大阪では昔から当たり前のことであるが、近頃京都や奈良のこの辺りでも主要な道路以外の十字路等にも大きな住居表示が出されて便利になった。
 と思っていたら、度々通行している大和西大寺の近鉄百貨店のすぐ北の三叉路に「孝謙天皇陵前」と表示されており、むむっと、自分の勉強不足もあり驚いた。
 妻からも「成務天皇陵前と違うのん?」と聞かれて咄嗟には判らなかった。
 というのも、いくらかの観光マップでは「成務天皇陵」と「日葉酢媛命陵」が隣り合っているという風にしか記されてないし、道の手前側が「成務天皇陵」だからである。(もちろん宮内庁が指定している「伝〇〇天皇陵」ということだが・・・)
 で、少し調べてみると「成務天皇陵」の南側に西向きの小型の前方後円墳があり、それが「孝謙(称徳)天皇陵」とされていた。
 へ~ そうだったんだ。
 しかし、しかし、西暦600年頃を境に畿内の支配層は前方後円墳の築造をやめた(白石太一郎著古墳とヤマト政権)のではなかったか。

伝称徳(孝謙)天皇陵
 とすると、770年に亡くなった孝謙天皇が600年以前に築造された前方後円墳に祀られている不思議は、「日本霊異記」でコテンパンに叩かれた道鏡法師でさえも驚くだろう。
 奈良県?も、寝た子を起こすような住居表示をしたものである。
 この住居表示、森浩一先生が知ったら何と言うだろうか。
 森浩一先生は陵墓指定の学術的見直しを強く主張されている。

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