妻からも「成務天皇陵前と違うのん?」と聞かれて咄嗟には判らなかった。
というのも、いくらかの観光マップでは「成務天皇陵」と「日葉酢媛命陵」が隣り合っているという風にしか記されてないし、道の手前側が「成務天皇陵」だからである。(もちろん宮内庁が指定している「伝〇〇天皇陵」ということだが・・・)
で、少し調べてみると「成務天皇陵」の南側に西向きの小型の前方後円墳があり、それが「孝謙(称徳)天皇陵」とされていた。
へ~ そうだったんだ。
しかし、しかし、西暦600年頃を境に畿内の支配層は前方後円墳の築造をやめた(白石太一郎著古墳とヤマト政権)のではなかったか。
伝称徳(孝謙)天皇陵 |
とすると、770年に亡くなった孝謙天皇が600年以前に築造された前方後円墳に祀られている不思議は、「日本霊異記」でコテンパンに叩かれた道鏡法師でさえも驚くだろう。
奈良県?も、寝た子を起こすような住居表示をしたものである。この住居表示、森浩一先生が知ったら何と言うだろうか。
森浩一先生は陵墓指定の学術的見直しを強く主張されている。
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