この本は、1992年から5年間にわたり、日本ビクターと中国民族音像出版社とが日中合作プロジェクトとして、中国少数民族の日常生活や行事、儀式などに織り込まれている歌や踊りなどを映像に記録していった際の記録や感想の記述であるが、2026年現在では相当の変化や消滅があるだろう貴重な記録に違いない。
非常に面白い内容なので今後幾度も書くだろうことも多いが、今日は現代史と衝突する事案のことを書く。
中国領内に約4200人、ロシア領内に約12000人という黒龍江省のホジェン族(ロシア領内ではナーナイ族)の歌や芸能を調査していたとき、有力な老人の中に「日本人がいるなら撮影には協力しない」という人が現れ大きな困難が生じたが、それでも監督が老人と話し合う中で「語り物の歌」を歌ってもらえたという。その歌は・・・
〽わがホジェンの人々は、日本人が侵略してきた時、「三部落」まで追い払われた。婦人たちは子供を背負い、老人たちは杖をついて故郷をあとにした。沼地を渡る時に深みに足を取られて這い上がれない婦人がたくさんいた。いくら老人が泣こうとも、婦人が叫ぼうとも、天も地も誰も助けてはくれなかった。食べるものといえば、木の実や皮しかなく、体がむくんでしまった。日本人はわれわれに阿片を吸わせた。「三部落」では、人が死んでも外へ運ぶこともできず、一家族一家族と次々にと死人が出たので、遺体を積み上げて燃やしてしまうしかなかった。
・・・老人はここまで歌うと涙があふれ、悲しみのあまり声が出なくなってしまった。
わが国では「日の丸」の損壊罰則法が進められ、大阪の維新の府市政は「君が代」で教員を処分したりしたが、そこにはこういう老人の声は届いていない。
私は「日の丸」も「君が代」も国旗、国歌で構わないと考えるが(その理由は長くなるので後日、別途書くつもり)、その大前提には、わが国が侵略し、戦争という名の人殺しや凌辱、略奪などを実行したという歴史的事実を直視するということがなければならないと考える。
予想外の本に予想外の記述があったので、改めて自省した。

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