2026年6月14日日曜日

伝統という言葉

    6月13日の朝4時5分から、NHK『関西発ラジオ深夜便』で大阪天満宮文化研究所高島幸次所長のインタビューが再放送され、天神祭りの話などを楽しく聴いた。
 その中で、天神祭りに関わって「伝統は常に変革を繰り返す」という話があり、例え話で「天皇即位の装束というと平安時代のイメージがあるが、明治天皇の前の孝明天皇までは中国皇帝の装束だった」という話が新鮮だったので、その装束である【袞冕(こんえ・こんい)十二章】というのを調べてみた。・・摘んでいうと・・・
 
    🔳 袞衣(こんえ、こんい)とは、天皇が即位の礼や朝賀などの儀礼で冕冠(べんかん)とともに着用した礼服である。
 冕冠と袞衣を合わせた装束は冕服(べんぷく)、袞冕(こんべん)とも呼ばれ、袞冕十二章とも称された。
 弘仁11年(820年)の嵯峨天皇の詔では、神事には帛衣、朝賀には袞冕十二章、諸行事には黄櫨染御袍を用いることが定められた(『日本紀略』弘仁1122日条)。
    袞衣は当初は朝賀に用いられたが、のちには即位の礼でも着用するようになった。袞衣は孝明天皇の即位の礼まで使用されたが、明治天皇以降は即位の礼では一般に黄櫨染御袍が用いられるようになった。 
 頭上には、五色の玉を以って飾る冕冠(べんかん)をかぶり、身には袞衣(こんえ)を召され。袞衣は表衣と裳からなり、表衣(赤色の礼服)には、袞龍(こんりょう)と呼ばれ両袖に龍の縫い取りがある。日・月・七星・龍・雉(華虫)・山・火・虎と猿(宗彝そうい)の八章、裳には藻・粉米・斧(黼ふ)・己(黻ふつあや)の合わせて十二章を附ける。🔳

    本稿の主眼は「皇室の装束」ではないのでこれ以上深入りはしないが、昨今、皇室典範の改正問題をめぐって、いわゆる保守と自称されている方々が明治から昭和の敗戦までの事々をまるで古代や中世以来の「伝統」というように言うことが多いが、この明治から昭和前期までの時期というのは日本歴史でいうと「あだ花」のような例外でもあったわけで、その時代のことをもって軽々に「伝統」などと言う者は、歴史について決定的な勉強不足の者か、あるいは別に「下心」がある主張ではないかと思ったところである。

 私は皇室のあり方を古代に戻せ中世に戻せと言っているわけではない。それよりも、冒頭の高島氏の主張のように、伝統は変革されてよいとの主張に大いに同意する。
 ただ一言、伝統でもないことを「伝統だ」の一言で問答無用にすることには大いに反対する。

 図は上から、
 ● 袞冕十二章を身にまとう霊元天皇。『霊元天皇即位・後西天皇譲位図屏風』より
 ● 袞冕十二章を身にまとう後三条天皇(石本秋園『大礼服着御図』)
 ● 孝明天皇の袞衣(大袖と裳)
 ● 令和元年の『黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)』(明治以降の装束)


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