2024年12月31日火曜日

チラッと振り返って

    大晦日でもあるので、2024年という1年を振り返るというほど大げさなことはできないがそれでもチラッと振り返ってみる。それも国際問題や政治の現状などは横に置いて、半径わずかな楽しいことを振り返る。

 その第一は日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことと関わって、友人のお坊さんが「折り鶴バッジ」を希望者に贈呈するということがあり、ほんのささやかながらそのお手伝いができた。ノーベル平和賞は巨大な話題だったが、それを身の回りで支えるこういう活動が尊いのだと感心した次第。

 第二は、順不同だが、今年は朝ドラが見ごたえがあった。「虎に翼」のことである。そして毎朝BSで再放送している「カーネーション」。≪NHK朝ドラだけは平和主義≫というような川柳を思い出す。

 第三は、毎年のことだが退職者会のパーティーが上手くいったこと。くす玉をどう取り付けるかとか、楽器(カズー)を廉価でどう調達しみんなに演奏をどう説明するかなど、つまらないことだが”ダンドリ八分”の言葉のとおり目に見えないところの準備が上手くいったときはホッとする。

 第四は、ミニコミニュースを楽しい紙面にしようということで川柳募集を取り組んだのだが、この種の募集依頼は依頼する当方の熱意と投稿者の意欲とがマッチしてこそ成り立つもの。それが結実した喜びは深い。最初から「そんなの難しい」と思うか「話せばわかる」と思うかの違いでないだろうか。

 第五というかその外、夏休みに孫の夏ちゃんから一万尺でのブロッケンの妖怪と雷鳥の写真が送られてきたことも、何年振りかで孫の凜ちゃんの運動会が見られたことも嬉しいことだった。
 パソコンもプリンターも壊れたがどうにかこのブログもここまで到達できた。
 蜂の集団に刺されたり、幾つかのケガもしたが入院や手術はなしにここに至った。
 そうして、みなさんのおかげで、このブログ記事もこの1年で400本に到達した。
 写真のしめ飾りの「笑門」は夏ちゃんファミリーに作って(書いて)もらった。各地のしめ飾りを見ていて「これだ」と感じたから。来年もこれで行くぞ!
 
 来る2025年が皆様方にとって良いお年になりますように!!!

2024年12月30日月曜日

土とヒトの生命誌

    中村桂子著『人類はどこで間違えたのか――土とヒトの生命誌』(中公新書)は2024年を締めくくるに値する読書だったが、頭の中でまとまらないまま歳を越えそうなので、感想というか印象めいたものを書くことにした。
 
 2021年9月2日や6日に書いた斎藤幸平著『人新世の資本論』の読書に似た刺激を受けた本であった。
 さて、私はその時その時の気分によって複数の本を並行して読むのを常としているが、後から買った本をいくつも読み終える中でこの本はなかなか進まなかった。理由ははっきりとはしない。
 自然史の本なのか、動物史、人類史、いわゆる歴史、それとも哲学??と迷ったからかもしれない。著者に言わせると、「生命誌は、生命科学を基本に置いていますが、生きものたちを見ていると科学だけでなく、人文科学、芸術、さらには農業の実践など広い分野の方たちの視点が生命誌と重なると感じることが多いのです」というからこういうことになるのだろう。
 目次も多岐にわたるが、3部建ては次のようになっている。
 第1部 生命40億年――「私たち生きもの」の中の私
 第2部 ホモ・サピエンス20万年――人間らしさの深まりへ
 第3部 土への注目――狩猟採集から農耕への移行と「本来の道」

    斎藤幸平氏は「人類の経済活動をこのまま放置すれば資本主義の終焉前に地球が滅びる」と警鐘を乱打したが、中村桂子氏も、例えば大橋力氏の次のような言葉を引用されている。「近現代科学技術という文明によって、それ自体を含むあらゆる文明を、さらにもろもろの文明を搭載したこの惑星それ自体までを道づれにして壊滅に導きつつあります。至上の文明を誇ってきた近現代文明が犯しつつある、この例えようのない理不尽は、許容も承服もできません。文明化を図ったホモ・サピエンスがどこかで、気づくことなく道を踏み違えた疑いを否定できないのです」
 もし興味がわいたなら一読をお勧めする。

 副題にもあるように著者は「土」に大きく注目し、「農耕という原罪」を問うてもいる。
 私はささやかながら自然農法・不耕起農法に挑戦したいと思っている。写真はその一環。

2024年12月29日日曜日

箸紙制作

    インバウンド関係のニュースを見たりすると西欧人でもけっこう箸で和食などを食べるのが普通のこととなっている。 
それだけ和食やアジアの文化が世界中で認知されてきたのだろう。
 反対に、日本の若い女の子が弁当にフォークだけというのも珍しくなく、文化の相互乗り入れが進んでいるようだ。善哉、善哉。

 ただ、便利・不便というだけで伝統が消えていくのは惜しいので、やはり私は正月には祝い膳を引っ張り出して祝い箸を用意したい。
 そも正月の祝い箸が「中太両細」の両口箸であるのは、一方を神様が使用するという神人共食の思想である。
 今どき神人共食などナンセンスだという意見もあるが、この種の宗教観の理解を捨ててしまうと歴史の理解など全くできない。自分の民族の歴史を語ることのできないままでは他文化の理解も嘘になる。
 と、幾らか大上段に構えて、来たる正月の箸紙(箸袋)を制作した。・・というほど大層なものではない。

 ただ、暦の上だけではあるが一年の始めの大事なお雑煮やおせち料理を、アノ出来合いの箸紙で済ますのは耐えがたい。
 ならば、どんなすごい箸紙なのかと言われると恥ずかしいが、ただただコピー用紙に印刷してほゞ四つ折りにしただけのことで、古式の関西風で下から上に箸を差し込むだけのことで、な~んだ!と言われるものだが、印刷する前に「今年はどうしよう」と何日間も考え込むのが自虐的に楽しい。
 こんな作業を一つ一つ重ねながら正月を迎えていこうと思う。

2024年12月28日土曜日

餅つきの餅は食べない

    年末恒例のほのぼのとした定番ニュースの一つに「・・の保育園でお餅つきが行われました」というのがあるが、先日のそれでは「園児たちは別に用意していたお餅を楽しそうに食べていました」とアナウンスされていた。
 ウッウッウッ!と首をかしげたが、近頃ではこれ(ついたお餅は食べない)が常識?かもしれない。
 実際にお餅をついて、手分けをして丸めたお餅を食べるなど、「何かあったらどうする!」との「神の声」の前には、「何千年も前から日本人はこうしてお餅をついて食べてきたのだ」などという経験主義者の声など吹っ飛んでしまっている。もちろん私は吹っ飛ばされている声に属している。
 「何かあったらどうする」「責任者は誰だ」の風潮はほんとうに正しいのだろうか。
 「神の声」の前には委縮と責任回避しか残らない。「それならここは一丁片肌脱ぐか」という日本人は絶滅危惧種になってゆく。

 先日、本を読んでいたら、餅箱のことを生舟(なまふね)と書いてあるのがあった。私には初めての言葉だった。調べてみると主にそば打ちなどに使う道具という。構造はほとんど変わらない。
 そういえば以前に駅弁売り風の道具をつくったとき、それは番重(ばんじゅう)と呼ばれていた。
 奈良の文化で育った妻はそれを「こじゅうた」と呼んでいたが、これは麹蓋のことで、「こうじふた」の外に「もろぶた」などとも呼ばれたり、各地ではそれぞれ訛った言い方もあるようだ。今回は「餅おり」という地方もあるというのが判った。
 お雑煮もそうだが、こういう行事用の道具の名称も地域性が強いのも面白い。
 そんなもので「こじゅうた」と検索したところ、2013年1月19日のこのブログの「こじゅうた 餅きり鉋(かんな)」が出てきたので懐かしく読み返した。
 こんな話、「何かあったらどうする」派の方々には面白くもなんともないだろうなあ。

2024年12月27日金曜日

大雪の注意

    「積雪の世界記録はどこであったか」は有名なクイズの問題で、世界中には信じられないような最低気温の記録がある中で、積雪は滋賀の伊吹山山岳測候所が1927年2月14日に記録した11メートル82センチが今も世界記録を保持している。
 私は主に大阪南部や奈良近郊で過ごしてきたので、本州の中でも最も雪の経験が乏しいから積雪には縁遠い。
 さて、積雪は密度と湿り具合で差が大きくなるが、積雪の分類は、新雪、こしまり雪、しまり雪、ざらめ雪、こしもざらめ雪、しもざらめ雪などと分類されている。
 これらは若い頃東京は大手町で気象庁の隣にいたことから、当時の岡林一夫全気象委員長から贈呈をしてもらった「日本列島の四季」で知った事柄である。

 この夏は「命の危険がある」「列島沸騰」と騒がれたのに、年末年始休暇を前に「今冬は積雪に注意」が呼びかけられている。
 一見「地球温暖化」説を否定しているように見えるが、日本列島の豪雪は日本海の海水温が高いことが原因で、ずばり、「地球温暖化が豪雪をもたらしている」というのも言葉遊び的には面白い。

 伊吹山に戻ると、琵琶湖は梅雨と台風と雪によって1年中まんべんなく貯水できるすごい湖と言える。
 関西の笑い話に、滋賀県民が京都や大阪の府民と喧嘩をすると「琵琶湖の水止めたろか」という殺し文句を言うというのがあるが、琵琶湖の水を止めると滋賀県が水没する。
 奈良県民は大阪府民に「大和川止めたろか」とは言わないが、それはほんとうに奈良盆地で洪水(溢水)の発生した経験があるからである。吉野以南の紀伊山地を除く奈良県北部の雨水はほんとうに大和川の亀の瀬1本で排水されている。ちょっと奇跡的である。

2024年12月26日木曜日

目白押し

    メジロは集団で飛び回る。それが枝や電線にとまると「ぎゅうぎゅう詰め」になるがそれが目白押しの状態だ。

 しかし実際はそんなにゆっくりはしておらず、実のついた木の中をせわしなく飛び回り、そしてせわしなく別の木へと飛び去って行く。
    姿が見えない時に「メジロ?、ウグイス?」と思う時があるが、チャッチャッチャッと笹鳴きするのがウグイスで、メジロの方がピーピーと可愛い。

 姿を現すとメジロの方が如何にもウグイスの風格があり、ウグイスの方が若干泥臭い。

 少なくない「梅に鶯」の絵画は「梅に目白」である。
 なぜメジロかというのは写真のとおり見れば一目瞭然。

    けっこう高い木の上をスマホで撮ったのでこんな程度である。

2024年12月25日水曜日

古代の対馬

    小笠原好彦著『奈良時代の大造営と遷都』(吉川弘文館)を読んでいる。
 要旨を勉強会で学んだ章もあるが勉強会に欠席した章もある。
 そんな欠席した章の一つが『古代国家と対馬』でそこなどは興味深く読んだ。

 そもそもだが、釜山から50キロ、壱岐にも50キロ、博多までなら140キロという地勢上の位置にあって、ほぼ一貫して「日本国」であったことが不思議な気がしている。
 昔の記憶だが司馬遼太郎が、中華民族の興味は一貫して大陸にあり海の方には興味がなかったというような文を読んだ気がするが、朝鮮半島を含めて大陸の民族にはそういう傾向があったのだろうか。
 斉明5年(660)に唐・新羅軍によって百済が倒され、百済再興をかけた倭・百済連合軍は白村江で惨敗したが、それでも対馬は倭(日本)国のままだった。この辺は掘り下げて知りたいところだ。
 魏志倭人伝でも「良田無く」と記されたほどだから、占領するよりも、日本の窓口、交易の窓口にしておくメリットの方が大きかったのだろうか。
 おかげで、対馬を経由して大陸の文物が倭(日本)に伝わったのであるから、小笠原先生は、「歴史に仮定はないが、もし対馬が朝鮮民族の土地であったならば、原始・古代の日本社会の発展は著しく遅れたと考えてみる必要もある」とコメントされている。

2024年12月24日火曜日

クリスマスソング

    ファミリーオールキャストでクリスマスパーティーをした。
 妻が、ついこの間チコちゃんで知った「ジングルベルの歌のベルはどういうベルか知ってる?」と蘊蓄を披露した。答えはクリスマスとは何の関係もないそり遊びの歌で、そりを引く馬の尻尾につけた鈴であった。

 私は先日書いた「呦呦」の蘊蓄を語った。
 すると夏ちゃんが「スマホのグーグルレンズをかざしたらそんなのすぐに解るで!」と教えてくれた。私のスマホでいえば一番最初の画面にある検索欄の中にあるレンズマークを使うだけである。特にアプリを入れる必要もない。試しに紙に呦呦荘と書いてスマホをかざしたら「ヨーヨー荘」と出た。口をアングリだ。スマホの「初級の初級」レベルの機能さえ使っていないことになる。もちろんマイクに呼び掛けて質問することも使っていない。そういうことができることぐらいは知っていたが。

 しかしねえ、便利は便利だけれど、これでは人間「調べる」とか「考える」という作業がなくなってしまわないか??? 新聞は読まない、ニュースは見ない、情報はスマホに頼ってそれを調べたり考えたりする時間は惜しむ。オーマーガー!

 まだそこまで毒されていないわがファミリーは、古式にのっとってクリスマスソングを合唱した。
 ギタレレ、ソプラノリコーダー、アルトリコーダー(夏ちゃんのお母さんはセミプロだ)、ブルースハーモニカ、タンバリンなどの合奏も上手くいった。もちろん、祖父ちゃんのカズーもバッチリ決まった。・・と祖父ちゃんは感じた。

2024年12月23日月曜日

一陽来復

    陰陽説では冬至から夏至が陽、夏至から冬至が陰。太陽(昼)が陽、月(夜)が陰。

 よって12月21日の冬至は、陰が極まり陽が誕生・復活する重要な日で『一陽来復』。
 ・・と考えた古人は、この日は閉戸して労働すべからず、安静にして微陽を養ふべしと言っていた(博桑歳時記)と書いてある本(昭和4年発行の「年中行事考」)もある。
 それによると、「冬至の後十日、房事を忌むべし」「でないとインフルエンザに罹る」とも。・・というような恐ろしい奇談はさておき、
 「冬至には柚子湯に入ると風邪をひかない」という俗例は長閑でよい。
 その日、孫の夏ちゃんが花柚子を採りに来た。夏ちゃんはこれを普通のミカンのように食べるのが好きだから「今夜だけはいくつかをお風呂の入れるのんやで」と言って聞かせた。
 あとで、夏ちゃんファミリーも別途渡した凜ちゃんファミリーも「柚子湯に入ったよ」とLINEが来た。

2024年12月22日日曜日

じゃばらの村

    奈良県の最南端あたりに北山村はある。ただし和歌山県北山村である。村の周囲は圧倒的には奈良県で、一部三重県に囲まれており、和歌山県の市区町村とは全く接していない。全国で唯一の飛び地の村である。
 奈良県の県庁所在地奈良市は奈良県の北端に位置しており、鉄道で北へ40分ほどで京都駅に着くし西へ40分~50ほどで大阪難波駅や大阪駅に着く。
 奈良県の南半分ほどは紀伊山地で、その中には全国で一番面積の広い十津川村がある。
 そういうところから私などは、奈良県を南へ南へ向かうのは未開の山奥へ分け入るイメージがあったが、実際に車で走ってみると、十津川の風屋ダムから先は徐々に平地に向かい、先入観との違いを実感というか、考えを改めたことがある。
 もうお分かりだろうが、北山村は歴史ある林業の村であり、伐採された材木は筏に組まれ、和歌山は新宮へ運ばれていたのだ。
 筏師たちは奈良県の北部平地の街には行かなくても、和歌山南紀の街では遊びもしたし買い物もしたことだろう。
 和歌山県北山村は人文地理の模範問題のような村である。
 その北山村の特産品に邪祓(じゃばら)がある。柚子と他の柑橘類との自然交雑種らしいが、強烈な酸っぱさが人気の上に「花粉症に効く」とかで人気がある。後日の当て字だろうが邪祓という当て字もよい。

 さて、孫の夏ちゃんが花柚子を温州ミカンのように食べるのが好きだということはこれまでも書いてきた。
 そんなこともあり今般、じゃばらの小さな小さな若木を見つけたので庭に植えてみた。
 先に植えていたカリカンサス(クロバナロウバイ)の西日除けのつもりだから、実の収穫はあてにしていない。それに実がなるようになるのは相当先のことでその頃私自身収穫作業に耐えられるかどうかわからない。
 しかしこういう長いスパンで未来を想像すると日頃の悩みが小さくなっていい。そういう意味でも「邪祓」の字はいい。

2024年12月21日土曜日

歳末風景

    街は歳末である。この間までブラックフライデーなどというわけのわからない言葉があふれていたが、今はクリスマス半分、お正月半分と言ったところだ。これはどちらも耳になじんでいる。    
    そんな中、孫の凜ちゃんと一緒に駅前小広場のイルミネーションに行ってきた。 
 私の趣味からいうと人工的な美しさよりも自然の中で虫や花と遊びまわってほしいが、体の弱い孫にはあまり無理も言えないから、こんなことでも思い出の一つになればよいかと出かけた。 
 19日の夜は冷え込んだせいか、そこそこのイルミネーションにもかかわらず子供たちは少なかったが、それは冷え込みのせいではなく、この街全体が少子高齢化しているためだろうか。
 19日の夜は冷え込んだので、あまり長居はせずにクリスマスの歌を凜ちゃんと歌いながらショッピングモールに逃げ込んだ。

2024年12月20日金曜日

夫婦の姓の伝統

    選択的夫婦別姓反対を強固に主張し自民党に大きな影響力を発揮しているものの一つに世界平和統一家庭連合(旧統一協会)があるのは周知の事実だ。
 「夫婦別姓は文化的共産主義で断固認められない」らしい。
 カルト団体の理屈(教義)は難解で、鮮明が創立した団体を引き継いだ妻が鶴子であったり、夫婦別姓の韓国がアダムの国なのに堕落したエバの国日本の戦前の制度を賛美するなど、凡人には理解しがたいところがある。
 ただ、選択的夫婦別姓に反対する論者は「家族の絆が弱まる」「夫婦の一体感が失われる」などの理由を述べ、さらには別姓は「日本の伝統的家族観に反する」と主張しているので、このブログでも何回か触れてきたことだが、歴史=学問に関わることなので一言だけ触れておく。 
 
 大河ドラマでも明らかなとおり、長く日本では女性に姓はなかった。あるいは称することがなかった。紫式部、和泉式部、清少納言のように。
 その次の時代で有名な北条政子、日野富子は堂々と夫婦別姓だった。
 そして市井の人々はそもそも姓がない、あるいは姓を名乗らない時代が長く続いた。それでも名乗る必要のある場合は「所生ノ氏」、つまり結婚によっても姓を変えないという別姓が多かった。
 よって1975年(明治8年)に「平民苗字許可令」が出されたがその翌年の太政官指令では、妻は「所生ノ氏を用いるべし」と、生家、実家の姓を称することとされた。その理由を述べた法制局議案にはそれが慣習で一般的であり、急に制度を変えては混乱を生じるとある。
 このように、明治よりも前の日本の伝統が夫婦別姓であったことは明らかだ。
 私は、だから一律に別姓にせよと言っているわけではなく、「日本の伝統は夫婦同姓だ」という主張は歴史的事実=学問に反すると言っておきたいのだ。

 なお、結婚によって夫の姓を名乗ったケースで離婚したケースも多々あるし、日本以外の圧倒的な世界中の夫婦別姓の国々で家庭の崩壊が顕著だという統計もない。
 このような全く歴史認識にさえまともに堪えない屁理屈に誘導されている政権与党、自民党はの本音は、傾向として平和志向の女性の世論を憎み、女性差別の解消を男性の優越感の侵害ととらえる半ば封建的な1898年(明治31年)以降の悪しき戦前回帰にあることは明らかであろう。
 重ねて言うが、別姓にしなければならないわけではなく、選択したケースでは別姓を認める。それでいい。

 さて私は勉強不足で知らなかったことだが、和裁の経験のある妻は家紋について、西日本では「女紋」が重視され、祖母から母へ、母から娘へ引き継がれる「女紋」があるということだ。結婚しても夫の紋には変えない紋である。
 「女紋」にもいくつかのパターンがあるようだが、武士の東に対して商家が力を持っていた西の地方では母系の思想が尊重されていたということだろうか。
 「女紋」は基本的に「丸に違い鷹の羽」のような場合には外の丸がないらしいから、そういう目で見てみると、ルイ・ヴィトンは見事に「女紋」だというのは穿ち過ぎだろうか。

2024年12月19日木曜日

呦呦

    奈良の東大寺戒壇堂近くの細道に、どこかの会社の保養所だろうか?『呦呦荘』という建物があり、そこを通るたびに「何て読むのかなあ」「どういう意味かなあ」と思いながら調べることなくもう何年も過ごしてきた。浅学の上に怠け者である。
 通常こういう漢字は、偏(口)は置いておいて旁を読めばよいというから「よう」かなと考えたが、「ようよう」という熟語も聞いたことがないし、もっと如何にも漢語らしい言葉のような気がする。
 そこで私が一番気に入っている「新潮日本語漢字辞典」を探したが見つからず、それなら漢語だと三省堂の「大明解漢和辞典」、さらにはヤマ勘から逆説的に「広辞苑」を牽いたが出てこなかった。

 ところが今度、軽くパソコンで「口偏に幼」と検索してみると何の苦労もなく答えが出てきたので驚いたというか、あっけにとられた次第である。
 それは詩経の中の小雅に「鹿鳴」として、
呦呦鹿鳴 食野之苹
我有嘉賓 鼓瑟吹笙
吹笙鼓簧 承筐是將
人之好我 示我周行 
 その読みは、
 ゆうゆうとしかなき やのへいをはむ われにかひんあり しつをひきしょうをふかん しょうをふきこうをひき きょうをささげてここにすすむ ひとのわれをよみし われにしゅうこうをしめせ
 その通釈は、
 ゆうゆうと(祖霊の使者の)鹿が鳴き、野の苹を食む。 我がもとに降りしは祖先の御霊。いざ瑟を弾き笙を吹こうぞ。笙を吹き簧を弾いて、かごの御供え捧げ祀らん。我をめで、我に正しき道を示し給え。
 ・・だというのである。

 さらに中日辞典では、youyou(oの上に横線)で「鹿の鳴き声」とあった。
 で「ようよう」なのか「ゆうゆう」なのか確とは解らないが、呦呦荘はきっと「ようようそう」か「ゆうゆうそう」に違いない。そして命名者は漢文の素養があった。戦前の教養人なら当然だったかもしれないが。

 長い間捨て置いていた問いが八割方にしてもあっけなく一挙に解けて、今更ながらネット社会の便利さに関心しているところである。
 発音の判る方は素人にも解るようにご教示ください。
 ちなみに「呦呦鹿鳴」と検索すると、フィギアかゲームか知らないアニメみたいなものが出てくる。これは何でしょう?

2024年12月18日水曜日

尉火焚(ジョウビタキ)

    野鳥の本にはどういうわけかあまり紹介されていないが、わが家周辺では非常に馴染みのある冬鳥であるジョウビタキ。
 
 ♂の頭が白髪(銀髪)で黒紋付の正装で現れ、頭を下げてお辞儀をするから「尉」。鳴き声の一部が火打石で発火させているようなので「火焚き」。
 ルリビタキ、ノビタキ、キビタキ、○○ヒタキは同じヒタキ(鶲)科。
 木の実も食べるが、虫も大好きで、私が落ち葉掻きや土を掘り返したりしていると、ほんの1~2ⅿ先に飛んできたりする。
 そういうなんとなく人懐っこいところが可愛い。
 けっこう縄張り意識が強いと本にあるから、いつも見ている個体はわが家を「シマ」としているのだろう。
 鳴き声は、ヒーッヒーッヒーッヒーッ カチカチカチ と特徴もあり、その声を聴くと冬だなあと感じる。

2024年12月17日火曜日

マールアラーゴの夕食会

    周知のとおり、16日(フロリダの15日)、トランプ夫妻に招かれた安倍昭恵氏が、トランプ氏の私邸(宮殿?)マールアラーゴで夕食を共にしたことが注目されている。
 注目の焦点は石破首相が5分間の電話のみで会見の目途さえ立っていない中で「なぜ昭恵さんが?」ということで、マスコミは「石破首相のメンツ丸つぶれ」などと評している。

 それらについてNHKをはじめとする各メディアは「トランプ氏と昭恵さんは連絡を取り合う間柄だった」とか「親しいメラニア夫人が誘った」とか「昭恵さんが個人的に誘った」だとか解説しているが、私は「そんなあほな」と感じている。
 相当変わり者でパフォーマンスが好きなトランプ氏であっても、世界各国の首脳からの面会オファーが殺到している中で、とりわけ石破首相との面会も実現していない中で「それはないだろう」と思われる。

 「石破に対する安倍派の強烈なしっぺ返し」が一番筋が通っているように見えるが、これをお膳立てできるような人物は見当たらない。あえて言えば、その代表格の人物を通じてアメリカのトランプ陣営に顔の利くグループだろうか。
 そんな話を妻としていたら、「それは統一協会(国際勝共連合)に決まってる。知らんけど」と断言した。私は即座に同意した。
 さて、真相はいつ明らかになるだろう。

底網

    今冬の庭での焚火は鋳物製の古いコンロを使ってしようと思う。
 長い間餅つきの際に羽釜を乗せていた薪コンロである。
 難を言えばあまりに古くシンプルなものなので空気の通り道ができていない。そこで薪の下に空間ができるよう五徳のようなものを探してみた。

 検索などした結果、写真のようなダッチオーブンの中に使う底網を入れてその上で薪を燃やすことにした。
 本題はここからだが、その値段が数百円から数万円まで幅が広いことに驚いた。
 当然「数百円なら買い替えてもしれている」と数百円のものにしたが、これが送料無料である。

 消費者にとっては安ければ安いほどありがたいが、原料、製造、輸送、それにそれ用の封筒に入れて郵送されてくるのだからそれぞれの段階の労働者の賃金は如何ばかりかと首をひねっている。
 もしかしたら百均にあるかもしれないが、こんな値段でいいのでしょうか。

2024年12月16日月曜日

俊徳道と十三峠

    『大阪の街道を歩く』という本の「ホンの」一部について11月18日に、主には熊野街道周辺のことを書いた。
 今日はそのパート2で『俊徳街道』。四天王寺南門から河内(八尾)の高安に至る道。
 俊徳丸の物語は、説教節、謡曲、人形浄瑠璃、歌舞伎、さらには落語にもなっているから多言を要しないだろうが、今でも近鉄大阪線下りで布施を出ると『俊徳道』の駅となっている。

 そこで今日の話は、その先の高安からさらに東の道である。十三(じゅうさん)街道で、生駒信貴の山なみを越えて大和に行く。
 名前の由来は山なみを越える『十三峠』にあり、さらにその名前の由来は峠にある『十三塚』だろう。
 その『十三塚』については以前に奈良県立図書情報館で調べたことがあり、発掘調査報告書などから仏教の十三佛の思想だろうということであったが、100%胸に落ちていない。それは今はさておき、
 大和(平群)からこの『十三峠』を越えて河内の高安へ向かうというと俊徳丸を遥かにしのぐほど有名な昔男。お能でもトップクラスに有名な『井筒』となる。
 *風吹けば沖つ白波たつた山夜半にやきみがひとり越ゆらん*
 『十三峠』へは私は大和側から登ったが、眼下に河内平野が広がり素晴らしい眺望で、霞んだ向うに業平や俊徳丸の影が見えても不思議でないような気分になったものだ。

2024年12月15日日曜日

蟹は食わねど

    プーチンによるウクライナ侵略を思い止まらせるために、日本政府はロシア産品の禁輸を決めている。
 ロシア貿易に携わる人々にとっては大打撃であるが仕方がないことだろう。
 フク1原発事故やその汚染水の排水に対して中国等が日本の海産物を禁輸にしていることと同種の外交の一種で、兵糧攻めという言葉があるが、世界中がロシア産品の禁輸を厳重にすれば、ロシア国内から「プーチンはウクライナから手を引いて輸出入の窓を開け!」という声が上がるだろうと考えられている。そのように考えるのは間違いではないと思われる。

 ところがこの時期、テレビやラジオの通販ではタラバガニやズワイガニの宣伝がこれでもかと流され、大きなスーパーの鮮魚売り場の一角はジャンボサイズのパックが山積みになっている。さらに14日の朝日新聞朝刊は見開きで広告が大きく打たれていた。(写真)

 この状況は日本の漁船の水揚げ量とはとても思えない状況だ。「その通り」、日本はロシアの『海産物』は禁輸から外しているのだ。
 世界中からあきれられている食糧自給率47%の国としては当然の結果かもしれないが、ウクライナで人々が殺されている理不尽から考えてみると、なんとも不誠実な外交ではないだろうか。
 この国には、武士は食わねど高楊枝という金言がなかったか。
 節度という言葉は死語辞典に入ったのだろうか。

2024年12月14日土曜日

歳末

    昔に比べれば「いよいよ歳末だ」という気分が沸かない。
 年末年始休暇というよりも毎日が休日だし、お節にしても基本は通販だし、何よりも歳神さまの来訪など嬉しくもなんともない。
 それでも区切り区切りで過去を振り返り、未来に向かって気を新たにするのは大切なことで、少しため息交じりではあるが年中行事に向き合うのは大切だと考えている。

 ほとんどの年中行事など、考えれば、なくてもしなくても何の支障もないが、それでは生活にメリハリがなくなるし、ひいては人生がのんべんだらりとなってしまいそうだ。
 年中行事など因習だ合理的ではないと切り捨ててしまうのは人生の魅力も捨ててしまいそうな気がする。
 文化だとか芸術などと構えた話ではないが、人生は無駄が楽しい。

 そんなもので歳末の一大行事、年賀状の作成に取り組み、ほぼ7割方終了した。
 「君の年賀状を読むのを楽しみにしている」と言われると嬉しいが、年賀状の作成枚数は相当減っている。
 そんなことを思うのも年末年始を「区切り」と感じるからだろう。
 写真は散歩道の『かりん』

2024年12月13日金曜日

渤海と天平時代

    大阪の『四天王寺ワッソ』という新しい祭のメーンは大陸との交流を再現したパレードだが、その中には渤海の大祚栄もいたから「渤海」の名前ぐらいは知っていた。・・ということはあまり深くは知らなかった。

 また奈良県周辺に住んでいると、いきおい平城京、東大寺大仏、正倉院御物など華やかなイメージが先行し、先進文化の源流である唐のイメージも同様の傾向がするが、はてさて・・・
 大唐の隆盛は周辺諸国から見ると国家滅亡の危機でもあり、事実、663年に百済が滅び、668年には強国・高句麗も滅亡した。
 その際、北に逃げた朝鮮族高句麗の一族と、元々北方にいたツングース系靺鞨(まっかつ)族によって今の中国吉林省、黒竜江省あたり、少し昔でいうと満州あたりに698年に建国を宣言したのが渤海であった。
 ただ唐はその王を国王(国)とは認めず、唐の郡、つまり渤海郡王としていたから、意識としては高句麗国王の流れをくむ渤海王としては、唐に渤海国、渤海国王と認めさせるのが悲願であり、あわよくば高句麗の故地奪還が夢だった。
 一方、歴史的に百済と友好的であった日本には百済遺民もいて、百済再興の夢があった。
 そういう下で、日本からの遣渤海使、渤海から日本への使節団(朝貢)も頻繁に行き来があり、朝貢貿易という性格も含んで、その数は実は遣唐使よりも多かった。

 さて奢れるものは久しからずではないが、唐において安禄山の乱(755~763)が起こり、淳仁天皇の太政大臣藤原仲麻呂は、好機到来と渤海と手を組み新羅を挟み撃ちで滅ぼし、朝鮮半島北の方は渤海、南は百済、あわよくば旧加耶を日本にと企んだが、渤海は唐に713年にすでに渤海国、渤海国王と認められて意欲は低下しており、国内では、淳仁天皇と仲麻呂は孝謙太政天皇と道鏡によるクーデター(仲麻呂の乱と言われるが実は反対)で失脚し、これらはすべて幻に終わった。
 先日の勉強会ではもっと詳細な両国の外交史を学んだが、私などはこのように「日本は昔から外交音痴なところがある」などとつまらぬ感想を強くした。

2024年12月12日木曜日

卒寿の初歌集

    底冷えの奈良のいつもの学習会卒寿の方の初歌集受く

    「卒寿の方」などと書いたが、同じ街に私が転居してきて以来約四半世紀お付き合いのある方である。
 冒頭の駄歌に書いた学習会にも私が情報を得て参加したところ、以前から参加されていたのでたまたま一緒になり、その結果、私が学習会で居眠りなどをしていたのをわが妻に「居眠りしていた」と「報告」」されることもあった。
 今般、その学習会で「歌集」をいただき、作者を知って驚いた次第。

 「あとがき」では、70歳を過ぎてから短歌を始められ、学習旅行や家族旅行の思い出をそのつど歌に記録されていた。
 それを、学習会の講師先生に勧められ、友人の助力も得て初歌集が成ったというので、ともすれば、健康に自信がないとか、今まで経験したことのないことだから無理だろうとかと言って尻込みしてきた自分の70代と比べて、大いに反省した。

 その20年に比べれば私は半分の10年をすでに無為徒食に過ごしてきたわけであるが、反対に考えれば(生き長らえるならば)卒寿まではまだ半分(10年)は残っているから、次の正月には何かの計を立ててみようと思う。
 (写真は記事とは関係のない、奈良公園の紅葉)

2024年12月11日水曜日

ユリノキ

    ユリノキ(百合の木)というのは名前もよいからか、いろんな施設の名前にもなっていたりするが、いざ「どんな木だ」と聞かれると答えられなかった。そのことは11月26日の『プラタナス』に書いた。
 11月24日に撮影した手前のプラタナスの奥の黄葉した2本の木だ。wikiによると高さは45mにもなるという高木だ。
 その木を12月8日に撮影したのが2枚目の写真で、この間の季節の進み具合が一目瞭然と言える。2枚目の写真はユリノキをズームアップしている。プラタナスは左の外である。

 『プラタナス』の時に書いたとおり、「何カエデだったかな?」と考えていろいろ本を読んだり検索したりしてみたが、一番の決め手は落ち葉だった。
 最初は妻に「あの木の落ち葉を拾ってきて」と頼んだところプラタナスとよく似た葉っぱを拾ってきたので、「カエデ類の分類は難しい」と頭を抱えていたが、自分で出かけてよく見たところ、妻はプラタナスを2枚拾ってきたことが判った。
    3枚目の写真がユリノキの落ち葉で、このとおり、カナダ国旗に代表されるカエデ類とは大きく違った。これが決め手で、ユリノキと確定した。
 ちなみに、こんな大木がなぜ「百合の木」というような可愛い名前なのかというと、小さな花が可愛らしいからだという。
 もう、およそ四半世紀もこの木の下を歩いているが、この花の印象はない。
 「花は上を向いていて見つけ難い」とあったが、それにしても、私の自然観察眼というか感性もその程度だということだろう。
 
 

2024年12月10日火曜日

シリアの行方

    シリアのアサド政権が崩壊した。
 
 フリージャーナリスト西谷文和氏の本に、「今まで取材した紛争地で一番恐ろしかった国はどこですか?」。この手の質問には「それは間違いなくシリアです」と答えている・・とあった。
 多くの紛争地では両者が約数キロ離れてロケット弾の撃ち合いをしていたが、シリアのアレッポでは双方の間が約2~300m! その距離でカラシニコフ銃を撃ち合う。
 西谷氏は反政府軍(自由シリア軍)に入って取材した。
 「中国人か?」「いや日本から来た」「日本人は大歓迎だ」。兵士たちが声を揃える。アサド軍をロシア、イラン、中国が支えているのでこうらしい。

 シリアの取材は各隣国が国境閉鎖をしているのでトルコからの密入出国しかなく、トルコ軍や隣国の秘密警察に度々捕まりながらの取材だった。ただ例の安田純平氏の場合は途中でギャングに捕まったのが不幸だったという。
 市街戦では銃撃をするたびに「アラー、アクバル(神は偉大なり)」と叫び、相手も撃ち返すたびに「アラー、アクバル」という。ムスリム同士(スンニ派とシーア派などの違いがあるが)が殺し合いをしている。
 シリアの場合は、アサドの残虐な弾圧が長く続いたので、その犠牲者らによる復讐の気持ちが強いようだ。
 だとすると、平和な世界というのは「撃ち方止めー!」では片付かない。

 もう一つ思うのは、アフガンの中村哲氏の本にあったが、家族を養うために村から傭兵の出稼ぎに行っていた男に「タリバン軍に行っていたのか?」と聞くと「アメリカ軍だ」ということで、結局貧しさ・・生活のために戦争が続いているということもある。
 そういう意味で、中村医師の用水路の仕事こそ真の平和への道だろう。

 核抑止力だとか軍事費倍増だとか海外派兵だ同志国だなどと言うのでなく、憲法9条のある日本こそ難民救済や医療提供に全力を注入すべきではないだろうか。それが一番の自衛策だと中村医師も体験を通して述べている。
 シリアの未来を思いながら、そんなことを思い返した。

2024年12月9日月曜日

緊急事態の悪夢


    今朝未明首相は次のとおり『緊急事態』を宣言し次の内容の政令を発すると公表した。
 我が国の情報機関は某国が我が国に内乱を企てているとの情報を得た。
 どういう情報であるかは秘密保護法の特定秘密であるので開示できない。。
 某国は第二次世界大戦時の仕返しだと決定したので、過去に日本軍がしたとおり、男は殺され女は凌辱されることになる。
 よって今後の政治は首相が任命した緊急事態会議(戒厳司令部)が執行する。
 国民は何人もこの措置に従わなければならない。
 某国と内通する議員が存在する議会は解散する。
 誤った情報を提供する恐れのある新聞、テレビ、ネット等の発信はこれを禁止する。
 緊急事態会議の発表する情報に異議を申し立てるものは某国のスパイとして令状なしで逮捕・処罰される。
 そのために警察内に特別高等警察を置く。
 首相官邸、国会議事堂周辺は自衛隊により道路を封鎖する。
 集会、デモ、夜間外出、誤った情報の発言は全て逮捕・処罰の対象とする。
 それらは自衛隊憲兵隊及び特高警察によって治安維持され、両者には制限なしの武器の使用を許可する。

 韓国の戒厳令のニュースの後、そんな悪夢を見た。
 たまたまだろうが、その日、テレビで香港の雨傘運動が弾圧されたときの映像(アナザーストーリーズ)もあった。
 12月8日は太平洋戦争(対米英戦)開戦の日。悪夢の最後には召集令状(赤紙)も私に届いたが、考えれば悪夢の中の私は若かった。
 
 憲法を改悪して緊急事態条項を挿入せよという政党や議員がいる。
 自民党、維新の会、国民民主党はそう主張している。
 緊急事態には自衛隊が市民に対して銃口を向ける。韓国のニュースはそれをはっきりと映していた。 
 写真は、2012年4月27日決定の自民党憲法改正草案の一部で、緊急事態条項が新設されている。

2024年12月8日日曜日

全然面白くありません

    NHKのEテレの幼児向け番組に『にほんごであそぼ』というのがある。
 はるか昔に子育てやイクジイを卒業された方にはなじみがないかもしれないが、その番組の中に『偉人とダンス』という短いコーナーがあり、先日の『偉人』は井上ひさしさんであった。
 そしてラップ調のダンスの歌詞は『難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、愉快なことはあくまで愉快に』であった。作文の心得だ。

 幼児にその意味するところが解るかどうかはさておいて、そんな歌詞を小さな脳みその奥底に詰めておくのも悪くはない。
 否、この番組は幼児につられて見ているイクジイに向かって踊っているのかもしれない。実際、これは非常に高度な格言で、メッセージの伝え方の鉄則だろう。
 胸に手を当てて反省してそう思った。そう『難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、愉快なことはあくまで愉快に』。ハイ。
 井上ひさしさんのトドメの言葉は、11月8日にこのブログで書いたとおり、『理屈でわかっているようなものを書くと、全然面白くありません』で、グサッ!

2024年12月7日土曜日

一瞬の鉄オタ

    雑談ですが、先日近鉄の大和西大寺駅で大阪難波行の電車が1番線に入ってきたので驚いた。
 1番線は通常近鉄奈良や橿原神宮前行の電車が入るところなので驚いた。
 昔は京都発難波行の特急が西大寺で前後を変えて走っていたからあり得ることで、私も京都から乗車して学園前や生駒まで乗ったことがあるが、当時何番線でスイッチバックしたかは覚えていない。
 感覚的に言えば、左車線を走っていた電車が右車線を走る感じで違和感があるが、終着駅をイメージするとなんということもないのかもしれない。
 ただこの駅は奈良線と京都線(橿原線)が頻繁に出入りする駅なので、なんとなく驚いた。
 それにスイッチバックのための運転手等の移動の様子がない。
 で、駅員に「ここでスイッチバックするのですか」と尋ねたら、「いや奈良に行きます」というのでさらに驚いたが、京都を出て、西大寺に着いて、奈良に行って、西大寺にまた帰ってきて、難波に向かうということが判った。
 納得というか、頭上の案内板もほんにそうなっている。要するに観光列車なのだろう。
 「特急あをによし」、ホームでしばし楽しませてもらった。
 京都から奈良以外、どんな人が乗るのだろう。奈良から先は普通の特急以外の急行や快速の乗り継ぎの方が早く着くような気がするが、もしかしたら5分ぐらいは早いのかな?

2024年12月6日金曜日

韓国の戒厳令

 韓国の戒厳令を見て再確認したことは、「緊急事態」とは軍が国民に銃を向けることですね。
 日本でも、いろんな理由をつけて憲法改正、緊急事態条項の挿入を主張する政党や議員がいますが、恐ろしいことです。緊急事態条項とは戒厳令のことですね。
 103万円超でなにがしかの収入が増える話とは次元が異なります。
 それにしても、韓国の市民一人ひとりの「民度」は素晴らしい。

バードテーブルの季節

    冬はバードテーブル(エサ台)の季節と言われている。
 ソファーに座って窓ガラス越しにバードテーブルを見ているとほっこりする。
 ホームセンターでハムスター用の小ヒマワリの種を買ってきて置いておく。
 お客はシジュウカラとヤマガラだ。
 大粒のヒマワリを置いたときは不評だった。
 スズメやジョービタキも来るが、彼らはヒエの方を好む。それは別の場所に屋根付きのエサ台を吊るしている。
 バードテーブルでは屋根がないせいか、シジュウカラやヤマガラはここではヒマワリの種を割ろうとしない。
 近くの植え込みから山型の反対の波型でヒューっとやってきて、ヒマワリの種を咥えて植え込みに帰っていく。
 少し太い枝や場合によっては電線で、コツコツコツコツと叩きつけて種を割る。
 このコツコツコツコツはけっこう大きな音がする。知らない人はキツツキと間違える。
 基本は朝夕だが、一日に何回もやってくる。ほゞ定時にやってくるから縄張り内を順に回っているのだろう。
 テーブルが空になっていると、ツツピー、ツツピー、ジージージージーなどと鳴いて、「早く補充しろ」と催促する。

    少し離れたところにはバードバスも置いている。
 ここは種類を問わず野鳥が水浴びをしたり水を飲みにやってくる。 
 水浴びをしているヒヨドリは可愛いが、帰りの駄賃に蝋梅の蕾を食べるのにはまいっている。















2024年12月5日木曜日

朝霧

    4日の朝6時45分ごろ、東の空は大きな朝焼けが美しかった。
 朝焼けの下の方では、木津川の朝霧が川に沿って漂っていた。・・ここまでの景色は見慣れた景色だが、川から離れた西の方の田んぼを見ると、田んぼの上何十センチからその上1メートルぐらいの厚さの霧が浮いていた。走行中なので妻が車中から撮った写真が掲載したものである。

 私は小さい頃から農村風景を知らずに育ったから「そんな朝霧は珍しくない」と言われるかもしれないが、私にしては感動的な景色であった。木津川の川霧とは別物のようである。

 あとで検索してみると、地霧、放射霧、蒸気霧などの言葉が出てきたが、詳細は今もわからない。

2024年12月4日水曜日

語学×探検

    息子が「面白いよ」と言って持ってきてくれた、高野秀行著『語学の天才まで1億光年』。
 高野秀行はいささか破天荒な探検家。若い頃に読んだ本も書架に残っている。
 誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く、・・久しぶりにその冒険(ノンフィクション)に付き合った。
 今回の柱は言語。登場するのは、英語、フランス語、リンガラ語、ボミタバ語外コンゴの民族語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、タイ語、ビルマ語、シャン語、中国語、ワ語。
 教科書的な話ではなく、探検に必要なために体当たりで習っていく。辞書も教科書もないような言語の世界で会話を切り開いていく。その中で言語周辺の文化について気付いた話も興味深い。

 例えば、「未開の前近代社会には挨拶語がない」ということなどもそうで、もちろん敬語などと言うこともそう。
 そんなところを読むと、「紀州弁には敬語がない」と司馬遼太郎が書いていたことなども思い出し面白かった。決して和歌山が未開だとは言わないが全く的外れでもない。この話を和歌山人と話すと「徳川御三家だから敬語を必要とする目上がいなかったからだ」と言う。ただ大和の言葉は紀州と似ているから、地味が肥えていて小さな集落で豊かに一生を終えることができたからかもしれない。

 スマホの翻訳機能も格段に進歩し、過去にこのブログで触れたが、外国人が菅原道真の歌碑にスマホを照らすと即翻訳した文字が出る時代になった。
 さて、世界語はひとつに収斂されていくのだろうか。もしかしたら世界は英語圏と日本語圏だけになるのだろうか。それほど日本語は世界的には孤児であるらしい。
 語学音痴の私も大いに読んで楽しかった。
 
 

2024年12月3日火曜日

守れ保険証

    石破政権は12月2日から現行保険証の新規発行を停止し、マイナ保険証への一本化を強行した。
 テレビは2日朝から「今日から紙の保険証は発行されない」「マイナ保険証で患者も便利になるし診療や薬剤関係の質が向上する」とまるで同じ原稿ではないかと思われるようなアナウンスを繰り返していた。
 そして私はこの日、この地域の中核を担う公立の総合病院に定期の受診に行った。
 
 ここの病院のシステムでは、診察券を機械に入れたのち、その月初めての受診の場合はすぐ横のカウンターで保険証の確認をするというものであったが、私のすぐ前の方が「マイナ保険証です」「紙の保険証は持ってきませんでした」と言っているのに対して、病院側が「対応する機械がまだ入っていないのでこれからは紙の保険証も持ってきてください」と応答していて、心の中で大いに笑った。公立の大きな病院である。 
 病院の対応を笑ったのではない。このような現実と乖離した政権を笑ったのだ。

 そもそもマイナンバーカードの取得をするかどうかは個人の自由とされている。にもかかわらず保険証を一本化するのは、個人を誘導もしくは脅してマイナカードを強制するものだ。G7の中でもこんなことをしている国はない。
 例えばネットの世界では「パスワードは適宜変更せよ」「いろんなパスワードを使い分けせよ」というのが原則で「個人情報は集中せずに分散せよ」が鉄則なのである。
 こんなに個人情報が詰まったカードを携帯して出し入れするというのは狂気の沙汰だと私は思う。QRコードなどを盗撮されたら一巻の終わりである。言っておくが、事件は必ず発生する。
 病院の待合室で座っていると私よりも高齢と思われる方々が多い。私は本気でマイナカード情報読み取り詐欺の頻発を想像する。再度いうが、事件は必ず発生する。

 日本の国民皆保険制度は世界でも上位に位置するが、黙っていても保険証が届くというシステムがそれを支えている。
 仕方なく政府は、マイナ保険証を申請していない人には「資格確認書」を交付するといってる。医院の機械のトラブルには保険証の画面をダウンロードした「画面」を見せればいいという。
 馬鹿じゃないかと思う。普通に元通りの保険証を交付しておればよいだけのことである。
 このシステム導入と新しい機器に群がって大儲けしている奴らの大笑いの声が聞こえてこないなら、耳が悪いのではなく、半分ぐらい洗脳されていないだろうか。

 とまれ、マイナ保険証の紐づけの廃止は手続きすればできる。マイナポイントは返さなくてもよい。

2024年12月2日月曜日

資源の豊かさ天災の恐ろしさ

    六甲は再度山に登ったことを先日書いたが、市街地に遠くなく布引の滝があり、一挙に(といっても私の足で2時間半)頂上に着き、そこからは神戸の市街と港や海が見える神戸の街の魅力が理解できた。
 同時に、急峻な河川はひとたび大雨になると怖いだろうなあという気もした。今日の記事のキモはここ。

 さて、伊藤孝著『日本列島はすごい』のことは過去に書いたが、そこでは大陸に比べて日本列島の土が豊かであるとあった。その基は、火山、山崩れ、洪水というのも、知ってはいたがデータ等をもって指摘されると新鮮であった。
 火山でいうと、若い頃一時松戸に住んでいたが、畑の土、関東ローム層はこれのことかと感心した。富士や箱根の大噴火の火山灰である。
 洪水でいうと、わが家近くの京都南部の山城地域は木津川の洪水のたびに地味が豊かになった地域である。
 そして今回、「山崩れ(土砂崩れ)の豊かさとはこれだろうなあ」と周囲を見ながらいろいろ考えさせられたハイキングであった。

 「のど元過ぎれば・・」というが、政党助成金の山分けや軍拡予算にうつつを抜かしている場合ではないだろう。
 先人が、幾多の天災を乗り越えて築いてきた国土を常にメンテナンスしながら次世代に繋ぐのが現代人の責任ではないだろうか。

2024年12月1日日曜日

トレッキングポール

    若い頃少しだけ登山のまねごとをしたからピッケルは持っているが、当時はトレッキングポール(ステッキ)などというものはなかった。誰も持っていなかった。
 そのうちに山ガールというような方々がそれを持って歩いているのを散見するようになったが、「スキーストックかな」「変なものが流行しているな」「何を大げさな道具であることよ」と思っていた。

 それが、先日のハイキングでリーダーの皆さんが「使いなさい」と貸してくれて使ったところ、特に膝へのダメージが決定的に軽減し、「ポール恐るべし!」と目から鱗であった。事実、翌日、翌々日にも「足に身が入った」症状もあまり現れていない。(注*あまり)
 そんなもので、ハイキングの翌日、早速ネットでトレッキングポールを注文したらその翌日には家に届いた。(便利なのはいいが、下請けやその労働者は・・・と考えると・・・)
 ちなみに、2本で1,770円であった。伸縮式でクッション付きだから機能的には遜色はないようだ。
 テストがてら散歩に使用しながらショッピングセンターまで行き、モンベルを覗くと廉価なもので1本7,000円台、1本1万円以上するものがザラだった。
 私も、滑落の危険がある本格的な登山をするなら2本1,770円は躊躇するだろう。
 そこで問題は、散歩の際に、いかにも「杖を突いた老人」に見られないよう颯爽と使用することだろうが、気を抜くとすぐに誰が見ても「杖を突いた老人」になってしまうのが悲しい。