2024年12月4日水曜日

語学×探検

    息子が「面白いよ」と言って持ってきてくれた、高野秀行著『語学の天才まで1億光年』。
 高野秀行はいささか破天荒な探検家。若い頃に読んだ本も書架に残っている。
 誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く、・・久しぶりにその冒険(ノンフィクション)に付き合った。
 今回の柱は言語。登場するのは、英語、フランス語、リンガラ語、ボミタバ語外コンゴの民族語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、タイ語、ビルマ語、シャン語、中国語、ワ語。
 教科書的な話ではなく、探検に必要なために体当たりで習っていく。辞書も教科書もないような言語の世界で会話を切り開いていく。その中で言語周辺の文化について気付いた話も興味深い。

 例えば、「未開の前近代社会には挨拶語がない」ということなどもそうで、もちろん敬語などと言うこともそう。
 そんなところを読むと、「紀州弁には敬語がない」と司馬遼太郎が書いていたことなども思い出し面白かった。決して和歌山が未開だとは言わないが全く的外れでもない。この話を和歌山人と話すと「徳川御三家だから敬語を必要とする目上がいなかったからだ」と言う。ただ大和の言葉は紀州と似ているから、地味が肥えていて小さな集落で豊かに一生を終えることができたからかもしれない。

 スマホの翻訳機能も格段に進歩し、過去にこのブログで触れたが、外国人が菅原道真の歌碑にスマホを照らすと即翻訳した文字が出る時代になった。
 さて、世界語はひとつに収斂されていくのだろうか。もしかしたら世界は英語圏と日本語圏だけになるのだろうか。それほど日本語は世界的には孤児であるらしい。
 語学音痴の私も大いに読んで楽しかった。
 
 

2024年12月3日火曜日

守れ保険証

    石破政権は12月2日から現行保険証の新規発行を停止し、マイナ保険証への一本化を強行した。
 テレビは2日朝から「今日から紙の保険証は発行されない」「マイナ保険証で患者も便利になるし診療や薬剤関係の質が向上する」とまるで同じ原稿ではないかと思われるようなアナウンスを繰り返していた。
 そして私はこの日、この地域の中核を担う公立の総合病院に定期の受診に行った。
 
 ここの病院のシステムでは、診察券を機械に入れたのち、その月初めての受診の場合はすぐ横のカウンターで保険証の確認をするというものであったが、私のすぐ前の方が「マイナ保険証です」「紙の保険証は持ってきませんでした」と言っているのに対して、病院側が「対応する機械がまだ入っていないのでこれからは紙の保険証も持ってきてください」と応答していて、心の中で大いに笑った。公立の大きな病院である。 
 病院の対応を笑ったのではない。このような現実と乖離した政権を笑ったのだ。

 そもそもマイナンバーカードの取得をするかどうかは個人の自由とされている。にもかかわらず保険証を一本化するのは、個人を誘導もしくは脅してマイナカードを強制するものだ。G7の中でもこんなことをしている国はない。
 例えばネットの世界では「パスワードは適宜変更せよ」「いろんなパスワードを使い分けせよ」というのが原則で「個人情報は集中せずに分散せよ」が鉄則なのである。
 こんなに個人情報が詰まったカードを携帯して出し入れするというのは狂気の沙汰だと私は思う。QRコードなどを盗撮されたら一巻の終わりである。言っておくが、事件は必ず発生する。
 病院の待合室で座っていると私よりも高齢と思われる方々が多い。私は本気でマイナカード情報読み取り詐欺の頻発を想像する。再度いうが、事件は必ず発生する。

 日本の国民皆保険制度は世界でも上位に位置するが、黙っていても保険証が届くというシステムがそれを支えている。
 仕方なく政府は、マイナ保険証を申請していない人には「資格確認書」を交付するといってる。医院の機械のトラブルには保険証の画面をダウンロードした「画面」を見せればいいという。
 馬鹿じゃないかと思う。普通に元通りの保険証を交付しておればよいだけのことである。
 このシステム導入と新しい機器に群がって大儲けしている奴らの大笑いの声が聞こえてこないなら、耳が悪いのではなく、半分ぐらい洗脳されていないだろうか。

 とまれ、マイナ保険証の紐づけの廃止は手続きすればできる。マイナポイントは返さなくてもよい。

2024年12月2日月曜日

資源の豊かさ天災の恐ろしさ

    六甲は再度山に登ったことを先日書いたが、市街地に遠くなく布引の滝があり、一挙に(といっても私の足で2時間半)頂上に着き、そこからは神戸の市街と港や海が見える神戸の街の魅力が理解できた。
 同時に、急峻な河川はひとたび大雨になると怖いだろうなあという気もした。今日の記事のキモはここ。

 さて、伊藤孝著『日本列島はすごい』のことは過去に書いたが、そこでは大陸に比べて日本列島の土が豊かであるとあった。その基は、火山、山崩れ、洪水というのも、知ってはいたがデータ等をもって指摘されると新鮮であった。
 火山でいうと、若い頃一時松戸に住んでいたが、畑の土、関東ローム層はこれのことかと感心した。富士や箱根の大噴火の火山灰である。
 洪水でいうと、わが家近くの京都南部の山城地域は木津川の洪水のたびに地味が豊かになった地域である。
 そして今回、「山崩れ(土砂崩れ)の豊かさとはこれだろうなあ」と周囲を見ながらいろいろ考えさせられたハイキングであった。

 「のど元過ぎれば・・」というが、政党助成金の山分けや軍拡予算にうつつを抜かしている場合ではないだろう。
 先人が、幾多の天災を乗り越えて築いてきた国土を常にメンテナンスしながら次世代に繋ぐのが現代人の責任ではないだろうか。

2024年12月1日日曜日

トレッキングポール

    若い頃少しだけ登山のまねごとをしたからピッケルは持っているが、当時はトレッキングポール(ステッキ)などというものはなかった。誰も持っていなかった。
 そのうちに山ガールというような方々がそれを持って歩いているのを散見するようになったが、「スキーストックかな」「変なものが流行しているな」「何を大げさな道具であることよ」と思っていた。

 それが、先日のハイキングでリーダーの皆さんが「使いなさい」と貸してくれて使ったところ、特に膝へのダメージが決定的に軽減し、「ポール恐るべし!」と目から鱗であった。事実、翌日、翌々日にも「足に身が入った」症状もあまり現れていない。(注*あまり)
 そんなもので、ハイキングの翌日、早速ネットでトレッキングポールを注文したらその翌日には家に届いた。(便利なのはいいが、下請けやその労働者は・・・と考えると・・・)
 ちなみに、2本で1,770円であった。伸縮式でクッション付きだから機能的には遜色はないようだ。
 テストがてら散歩に使用しながらショッピングセンターまで行き、モンベルを覗くと廉価なもので1本7,000円台、1本1万円以上するものがザラだった。
 私も、滑落の危険がある本格的な登山をするなら2本1,770円は躊躇するだろう。
 そこで問題は、散歩の際に、いかにも「杖を突いた老人」に見られないよう颯爽と使用することだろうが、気を抜くとすぐに誰が見ても「杖を突いた老人」になってしまうのが悲しい。