反対に、日本の若い女の子が弁当にフォークだけというのも珍しくなく、文化の相互乗り入れが進んでいるようだ。善哉、善哉。
ただ、便利・不便というだけで伝統が消えていくのは惜しいので、やはり私は正月には祝い膳を引っ張り出して祝い箸を用意したい。
そも正月の祝い箸が「中太両細」の両口箸であるのは、一方を神様が使用するという神人共食の思想である。
今どき神人共食などナンセンスだという意見もあるが、この種の宗教観の理解を捨ててしまうと歴史の理解など全くできない。自分の民族の歴史を語ることのできないままでは他文化の理解も嘘になる。
と、幾らか大上段に構えて、来たる正月の箸紙(箸袋)を制作した。・・というほど大層なものではない。
ただ、暦の上だけではあるが一年の始めの大事なお雑煮やおせち料理を、アノ出来合いの箸紙で済ますのは耐えがたい。
ならば、どんなすごい箸紙なのかと言われると恥ずかしいが、ただただコピー用紙に印刷してほゞ四つ折りにしただけのことで、古式の関西風で下から上に箸を差し込むだけのことで、な~んだ!と言われるものだが、印刷する前に「今年はどうしよう」と何日間も考え込むのが自虐的に楽しい。
こんな作業を一つ一つ重ねながら正月を迎えていこうと思う。
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