今日はそのパート2で『俊徳街道』。四天王寺南門から河内(八尾)の高安に至る道。
俊徳丸の物語は、説教節、謡曲、人形浄瑠璃、歌舞伎、さらには落語にもなっているから多言を要しないだろうが、今でも近鉄大阪線下りで布施を出ると『俊徳道』の駅となっている。
そこで今日の話は、その先の高安からさらに東の道である。十三(じゅうさん)街道で、生駒信貴の山なみを越えて大和に行く。
名前の由来は山なみを越える『十三峠』にあり、さらにその名前の由来は峠にある『十三塚』だろう。
その『十三塚』については以前に奈良県立図書情報館で調べたことがあり、発掘調査報告書などから仏教の十三佛の思想だろうということであったが、100%胸に落ちていない。それは今はさておき、
大和(平群)からこの『十三峠』を越えて河内の高安へ向かうというと俊徳丸を遥かにしのぐほど有名な昔男。お能でもトップクラスに有名な『井筒』となる。
*風吹けば沖つ白波たつた山夜半にやきみがひとり越ゆらん*
『十三峠』へは私は大和側から登ったが、眼下に河内平野が広がり素晴らしい眺望で、霞んだ向うに業平や俊徳丸の影が見えても不思議でないような気分になったものだ。
不退寺は車でならわが家からもそう遠くない地にあります。仁明天皇の勅命で在原業平が建立したので業平寺ともいわれます。非常に鄙びたお寺で、訪問すると本堂を開けて説明してくれます。以上、業平にちなんで一言。
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