中村桂子著『人類はどこで間違えたのか――土とヒトの生命誌』(中公新書)は2024年を締めくくるに値する読書だったが、頭の中でまとまらないまま歳を越えそうなので、感想というか印象めいたものを書くことにした。
2021年9月2日や6日に書いた斎藤幸平著『人新世の資本論』の読書に似た刺激を受けた本であった。
さて、私はその時その時の気分によって複数の本を並行して読むのを常としているが、後から買った本をいくつも読み終える中でこの本はなかなか進まなかった。理由ははっきりとはしない。
自然史の本なのか、動物史、人類史、いわゆる歴史、それとも哲学??と迷ったからかもしれない。著者に言わせると、「生命誌は、生命科学を基本に置いていますが、生きものたちを見ていると科学だけでなく、人文科学、芸術、さらには農業の実践など広い分野の方たちの視点が生命誌と重なると感じることが多いのです」というからこういうことになるのだろう。
目次も多岐にわたるが、3部建ては次のようになっている。
第1部 生命40億年――「私たち生きもの」の中の私
第2部 ホモ・サピエンス20万年――人間らしさの深まりへ
第3部 土への注目――狩猟採集から農耕への移行と「本来の道」
斎藤幸平氏は「人類の経済活動をこのまま放置すれば資本主義の終焉前に地球が滅びる」と警鐘を乱打したが、中村桂子氏も、例えば大橋力氏の次のような言葉を引用されている。「近現代科学技術という文明によって、それ自体を含むあらゆる文明を、さらにもろもろの文明を搭載したこの惑星それ自体までを道づれにして壊滅に導きつつあります。至上の文明を誇ってきた近現代文明が犯しつつある、この例えようのない理不尽は、許容も承服もできません。文明化を図ったホモ・サピエンスがどこかで、気づくことなく道を踏み違えた疑いを否定できないのです」
もし興味がわいたなら一読をお勧めする。
副題にもあるように著者は「土」に大きく注目し、「農耕という原罪」を問うてもいる。
私はささやかながら自然農法・不耕起農法に挑戦したいと思っている。写真はその一環。
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