2023年4月17日月曜日

石楠花色にたそがれる

   江間章子作詞・中田喜直作曲「夏の思い出」は、山登り、特に尾瀬に行ったことのある人には必ず愛唱歌に加えられている歌だ。
 ただ江間章子は暦の季節で詩を書いたので、夏休みに夏山に行っても水芭蕉(みずばしょう)も石楠花(しゃくなげ)も花期を過ぎている。以上はいらぬ前書き。

 そして、〽石楠花色にたそがれる‥とはどんな色というのにも諸説あるが「黄昏時の夕焼け空の色」あたりが素直な解釈で良いのではないか。

 13日、長居植物園の石楠花は満開だった。近頃は西洋石楠花や、さらにはツツジなどとの園芸交配種が増えていて、「たそがれ色」とは程遠い豪華さだ。
 私は3回ほど庭に石楠花を植えたことがあるが、結局みんな枯れさせてしまった。
 そういう怨念もあって満開の石楠花を楽しんだ。

 ただやっぱり、美しすぎる石楠花には「夏の思い出」に漂うような情趣が消えているためか、当日参加メンバーにはもう一つ人気がないように見えた。

3 件のコメント:

  1. 「夏の思い出」で二言、なぜ江間先生は「夏の想い出」にしなかったのか、「想」の字を辞書「漢語林」で調べてみると、随想 夢想 幻想 連想 理想・・・・。とある。一方「思」であるが、まず思い浮かべる言葉は「思慮に欠ける人物」である。小生の代名詞のような言葉です。ですから総合的に判断して「夏の想い出」がエエかなと。もう一つは中田喜直先生である。「夏の思い出る」「ちいさい秋みつけた」「雪のふるまちを」と春の歌を聴かない。答えは父君「中田章」先生にある。ETVの番組で紹介されていた。父中田章さんが作曲した「早春賦」にある。父の唯一有名な曲であった為、尊敬する父を想いやって、春の歌作曲を控えたのではないかと・・・。

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  2.  「早春賦」の話は有名な好い話ですね。戻って「思」ですが私は門外漢でよく知りません。で、愛用する『白川静・常用字解』によると、「田」のところは元々は「囟」(し)で、ひよめき(幼児の頭蓋骨の縫合部分)の形で「考える働きのある脳のあるところ」それに心を加えて「おもう、考える」の意味となる。(用例)に思惟、思想、思念、静思、沈思とありますから、これはこれで立派な字でしょう。
     「想」の「相」は14日にも書きましたし、それ以前にも触れたことがありますが、「魂振り」の思想だと白川先生は述べておられる。となると、「早春賦」はそもそも「賦」(日本で言えば土地誉めの文学)ですから文字どおり「想」が相応しかったような気がしないでもありません。コメンとありがとうございました。

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  3. ご教示ありがとうございます。(用例)については当方の「漢語林」にも 愁思 慎思 聖思 旅思 沈思・・・・があるのは知ってました。となると、どちらでもですね。私の思考回路には、岳都信濃大町が輩出した登山家であり、また事業家でもあった百瀬慎太郎が詠んだ 「山を想えば 人恋し 人を想えば 山恋し」の、想えばの言葉がめぐり廻っていた為、想えばの発想があったのかも。この百瀬慎太郎氏は若山牧水と親交があったと言われている。 孤高岳人

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