心臓医にストレス何かと問われるを政治とカルトと言えず呑みこむ
たまたま主治医の出勤日だったので各種検査や診察を受け、点滴をしてもらった。
症状が落ち着いてからの診察の折、心臓医(循環器内科)の主治医からは「発作前の兆候はどうだったか」「ストレスの具合はどうだったか」と何回も問診があった。ストレスが大きなリスクファクターであるためという。
実はストレスはあった。自公政治のこと、反社会的カルト集団・旧統一協会のこと、一番はそれらのことに関するメッセージの伝え方について原稿がなかなかまとまらず、けっこう大きなストレスを抱えていた。
ただ、これまでの主治医とのやりとりを思い返してみて、「このストレスの話、判らないだろうな」と思って、説明を止めたのだった。冒頭の短歌は、そのことを詠んだ一首である。
その一首、9月6日、読者の文芸・短歌、畑谷隆子選に採ってもらった。先生の添削で格段に良くなっていた。その添削が非常に勉強になった。添削ありがとうございました。
もともと私は理数系のロジックが好きで文芸全般には「超」弱かった。
そして何年か前、老々介護で家にいたとき、どこかの酒席から友人が「いま皆で飲んでいて、近々堺のお寺で句会を始めることになったから心するように」と電話があったのが一つのきっかけ。もうひとつはプレバトを見て何となく真似てみようかと思ったことがもう一つのきっかけで、俳句、川柳、短歌の違いはあるが、恐る恐る文芸もどきをたまに投稿するようになった次第。(なお、その句会は数年後の今も開かれていない)
こんな私の作品でも年に1~2回は採用・掲載されることがあるのだから、友人諸氏も投稿されるなら採られることも多いだろう。
商業紙ではない「皆の機関紙」だから、「紙面に参加してやろう」という姿勢も意味がないことはないだろう。機関紙というのは皆で作るものだから。
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