コロナ対応にしても、やはり人間は顔を突き合わせてビールの一杯も飲みながら語り合ってこその日常であらねばならない。つくづくそう思う。
マスクも、私は屋外では殆ど外している。たまにポケットに突っこんだまま着けるのを忘れてスーパーで買い物をして、出てから気付くこともある。これはちょっと冷や汗もの。
日常をそこそこ楽しんではいるが、コロナ疲れ、自粛疲れというのも判らなくはない。
判らなくはないが、だからといって「社会活動優先だ」と単純明快に言い切ることはよくない。複雑なモノゴトは複雑に理解し、複雑に対処するのが大人の対応ではないかと思う。
話はお盆のときである。孫の夏ちゃんファミリーがお母さんの田舎に「帰省」した。お母さんの兄弟ファミリーもちょっとした時間差で帰省して、大きなだんらんの時が過ぎた。
そして、夏ちゃんファミリーが家に帰ったとき、後から来た兄弟や向こうのお祖母さんに症状が出現して陽性になった。
で、濃厚接触者にもなったので、夏ちゃんは地蔵盆のとき我が家に来るのを止めようかと言う話にもなった。ただ、お盆から地蔵盆まで症状も出ていないし、いいではないかということで我が家には来た。
自粛疲れよりも経済の論理、早い話が金儲け優先で夏休みはノーガードで「人流」が「奨励」されたが、夏ちゃんファミリーの危機一髪の経験はパンデミックの拡大の典型のように思われる。
旅行や飲食は、このように大きな危険因子(リスクファクター)であることは間違いない。
だからどっちやねん。制限継続か制限解除かどっちやねんと言われると、「どっちもや」と言わざるを得ない。
パンデミックというものはそういうものなのだろう。
感染した人を「注意欠如」と責めるのはよくない。このような危険はすぐ近くに潜んでいると再確認してほしくてこんな報告を書いた。
注意しつつどう集うかの話をしたいものだ。
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