2022年8月7日日曜日

復活 蝸牛考

   松本修著『言葉の周圏分布考』(インターナショナル新書)を読んだ。古く『探偵ナイトスクープ』から誕生した『全国アホ・バカ分布考、『全国マン・チン分布考』に次ぐ第3弾で、総まとめに似た力作だった。

 芭蕉の「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」を牽いて、「都で栄えた新しい日本語の語彙や文法事象は、やがて都を出で発って地方へと歩みを進め、・・辺境の村々まで旅をしたという結論を大規模な調査で裏付けている。

 この方言周圏論は、古くは柳田國男が『蝸牛考』で唱えては見たものの、柳田自身は後に「成り立つかどうかわかりません」と敗北宣言を行い、学界の雄金田一春彦が批判し、下っては全共闘世代の研究者からは「中央集権政治推進の悪しきイデオロギー」と攻撃されてタブー視された論だった。

 それを、丹念な調査で異議申し立てしたのだから面白い。そのデータに基づく分布図の一つひとつには私の理解と異なる部分もあるが、総じて論の大枠には納得した。

 そも言語の前には人間の生活があり、そういう意味ではこれは民俗学の一部かもしれない。そういう意味では、奈良の寺社では今でも伎楽に近い雅楽が催されるが、そのルーツが中央アジア辺りであったことは常識になっているし、その故地にはすでに無くなっており、大陸から離れた日本列島、つまり辺境たる日本列島に残っている事実からも私は納得するのだった。

 寄り道のように、「こうつと」の分布図があった。ずーっと以前にサザエさんにもあったことを先輩のスノウさんから教えてもらったし、この本の中でも明治以降の文豪の作品にあるのを指摘されている。著者はこの言葉を「遠からず消え去る運命にある」と結んでいるが、私世代の他界によってそれは現実のものとなるだろう。

 先日落語の「ながたん」の話を夫婦でしたが、妻も私もこの言葉を実際に使ったことも聞いたこともなかった。
 古典芸能にわからない言葉が多いという問題は指摘されているが、何でもかんでも現代語でわかればよいというものでもない。その貴重な上方の古典芸能が維新の政治の下で衰退しつつあるように見える。

 あちこち寄り道したが、この本はけっこう面白い。
 『全国マン・チン分布考』の帯は「阿川佐和子さん推薦」だったのが、今回のは「百田尚樹氏大絶賛」となっているのは低俗なイメージを抱かせて残念だ。

2 件のコメント:

  1. 母が知人の口真似で「こうっと、わしのどーらんどこいった」と面白おかしく言っていたのを思い出した。(胴乱=四角い布製の袋、財布代わりに使う)

    返信削除
  2. ひげ親父さん、「こうつと」以前に「どうらん」が死語でしょう。
    『胴乱の幸助』の胴乱は落語でしか知りません。小学生のとき植物採集に使っていた金属製のカバンの胴乱しか実際には言葉を使いませんでした。

    返信削除