13日にはお父さんの帰省先なので、11日に孫の凜ちゃんとプレ迎え火を挙行した。
凜ちゃんは「焚火だ」「焚火だ」と喜んだ。
これ以上の先祖供養があるだろうか。
キリスト教の一派を装って「先祖の祟りじゃ」と脅すカルト教団があるが、そもそも釈迦の仏教に先祖供養などないかもしれない。人は輪廻転生してしまっているのだから。
仏教が日本にまで伝搬してくる中で、先祖供養の儀式にうるさい儒教を取り込んだか、仏教が儒教に取り込まれたかというあたりが真実に近くないか。
それにしても、人は先人の努力を思うべきだろうし、とは言え凡人は「形」を与えられないと惰性に流れやすいものだから、「お盆だ」「お盆だ」「迎え火だ」と考えるときがあってもよい。そこを押さえれば13日にこだわる必要もあるまい。
プレではなく正規の迎え火だと思うことにする。
0 件のコメント:
コメントを投稿