2022年4月3日日曜日

戦前のGo To Travel

   一昨日、昨日と「為政者による情報統制」や「歴史の偽造」に関わるような記事を書いてきたが、ことのついでに『戦前のGo To Travel』というタイトルで話を引継ぎたい。

 先日、奈良大学WEB講座「昭和戦前・戦時期における奈良の観光振興の姿」という講義を受講(視聴)した。写真はその画面だが、申込制の限定動画らしいので一部私が加工した。

 時代は昭和初期、盧溝橋事件、支那事変の頃、戦争へ向かうそんな時代に奈良の観光行政はスタートした。
 そんな余裕のない時代にどうして?と誰もが思うだろうが、実はそれは「美化せよ国土、体位向上、銃後の備へ」という精動運動(國民精神總動員運動)の一貫だった。

 特に奈良県のそれは、「物見遊山」ではない。「建国(肇国)の地」「吉野朝廷の忠臣たちの地」の史蹟を宣揚して国民精神作興に資するという大目的があった。

 少し可笑しいのは、という奈良県に対して奈良市長は「珍しいもの、新しいもの見たさ」が観光の大事な動機と述べていることで、これは杓子定規な国や県に対する皮肉というよりも、橿原や吉野中心のキャンペーンに対する競争心だったかもしれない。

 止まれ、戦争に深入りする国では、オリンピック(結果は中止)、万博(結果は中止)、など紀元2600年行事の一環として言わば Go To Travel が展開されたという事実を知っておく必要がある。
 現代のコロナ禍を「経済戦争」という視点で見ると、数々の為政者の失政を Go To Travel で目くらまししているようにも見えないだろうか。

 2020年、コロナ禍で日本書紀編纂1300年事業のようなものが頓挫したことは悪くないことだったが、コロナがなかったなら、神話を歴史的事実とあえて宣伝する國民精神總動員運動まがいの運動が広がっていた可能性がある。

 戦時中の先に触れたキャッチコピー「体位向上」は、戦時には身体障碍者は無駄、邪魔という思想でもあるから、孫の未来のためにもそんな時代に絶対に後戻りさせてはならない。

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