2022年4月18日月曜日

平城京の瓦

   7世紀の乙巳の変(いわゆる大化の改新)の舞台は飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)だった。古代史を勉強し始めた頃は「ええッ宮殿が板葺きの屋根だって?」と最初は変な気がしたが、考えてみれば板葺きの建物は「貧相」なものというよりも、縄文以来の草葺きの屋根ばかりの中に聳え立つ超近代建築だったことだろう。

 それから程なく、日本で最初の寺院・飛鳥寺が建立され、瓦葺きが寺院や宮殿の屋根を飾った。
   さらにそれから藤原京が造営されたのだが、その瓦は現在の堺市、和泉市、大阪狭山市にまたがる陶邑(すえむら)で造られていた。
 渡来系の技術者集団というから当時のシリコンバレイといった感じだろう。
 感想でしかないが、旧西除川を北流して河内湾あたりからUターンをして旧大和川で大和に運んだのだろう。
 和泉以外にも、近江、淡路、讃岐等も産地であったらしい。

   ところが藤原京から平城京へ遷都する際には、需要の拡大、技術の進歩、運送の合理化と思われたのだろうか、平城京のすぐ北の平城山(ならやま)の丘陵地帯に窯を造り、瓦を焼き始めている。瓦窯(がよう)跡と呼ばれる遺跡がその辺りに解っているだけで7箇所発見されている。

   平城遷都1300年祭というイベントが2010年(平成22年)にあったが、1300年後のその辺りはニュータウンになり、畏れ多いことながら私などもその上に住まわせてもらっている。

 ニュータウンの中心部は近鉄京都線高の原駅で、駅前のシンボル的な大きな陸橋には、開発途中で発掘された鬼瓦、平瓦、軒瓦のレプリカが飾られている。時々、ハイクを兼ねたそれらしき集団が見入っていることがあるが、住人の99,9%は振り向きもしていない。もしも~し! 少し休憩がてらに案内板など読んでみませんか。

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