2021年5月19日水曜日

おはようおかえり

   5月7日,8日,9日に『ことばは国家を超える』という本の印象を書いたが、その中で著者田中克彦氏が『差別語からはいる言語学入門』というなかなか大胆なタイトルの本を出していることを知ってネットで取り寄せて(行きつけの書店は閉鎖中であった)読んだ。
 その感想を書くには頭の中がまとまっていないが、言語学という切り口から参考になる視点が提供され新鮮でもあった。しかし、まとまっていない。

 『ことばは国家を超える』の方にあったが、表意文字である漢字は差別のオンパレードというか昨今の言葉でいえばジェンダー不平等の性格を色濃く備えている。さらには「御主人」だとか「奥様」だとかの言葉も常々指摘されているものの、ナルホドと圧倒的多数を納得させる決定打も見つかっていない。
 言葉は文字どおり社会の上部構造だから、社会の進歩とつかず離れず「進歩」していくことだろう。

 世界の多くの言葉がラジオ的な中にあって、漢字かな交じりの日本語はテレビ的言語といわれている。ひらがな、カタカナの文字の形には法則性はないが、とりあえず50音を知れば小学1年生でも文がつくれる。そして、長じて読めない漢字があってもなんとなく意味が解ったりする。そして長年同じ文字を使用してきたおかげで多くの人々が歴史的文書をどうにかこうにか読むことができる。こういう利点を残しつつ日本語はどうなっていくのだろう。

 『おちょやん』で「おはようおかえり」という台詞が分からないという声があったらしい。こんな関西弁は残ってほしいが、生活全般にゆとりがないと言葉は死んでいく。

0 件のコメント:

コメントを投稿