歳を重ねたせいか、突然頭の奥底から過去の失敗や反省事項がフラッシュバックしてきて、ため息が実際の口から出たりすることがある。
半世紀も前のことである。若くして全労働本部に出て最初のオルグが群馬支部だった。その交流会、要するに飲み会で私は「群馬というところはイチジク畑が多いですね」と発言し、皆に「何も知らない若造」と顰蹙を買ったことを覚えている。初めて乗った上信越線の車窓に拡がるイチジク畑それは実は桑畑だった。堺旧市街育ちのボンボンの知識にそれはなかった。
長じて植物に詳しい妻にいろいろ教えてもらって、今では知ったようなことを言ったり書いたりしているが、そんなもので、遊歩道の脇に生えているそれが桑の木(山桑)であることを知ったのもここ10年以内のことである。
知らないということは見ていても見えていないというか、それは社会問題でも同じで、興味を持つこと、これは何だろうと考える癖をつけないと、”そんなことも知らないのに、やれ、それもこれも知っていると言っている日本人のなんと多いことか”と森田美由紀アナに叱られる。
今では、散歩のついでにポイッと口に放り込んで歩いている。
〽 山の畑の 桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか
三木露風によると山村育ちの姐やは街に出て、桑の実は遠い”思い出”になったようだが、私の場合は半世紀も前の恥ずかしい思い出として残っている。
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