2021年5月7日金曜日

ラ行は頭に来ない

   本を読んでいて、主旋律ではない道草の部分で笑ったり記憶に残ったりすることがある。
 まず掲げたのは上野誠著『万葉ことば』の索引で、限られた小さな本だが「ラ行」のないことが見て取れる。頭に「ラ行」が来る言葉は古典の日本語にはなく、「ラ行」は漢字語や西洋語ルーツに限られる。多くは漢字の音読みである。

 先の元号改元の際、典拠が漢籍ではなく万葉集だということで「画期的なこと」と礼賛する声が主として安倍首相(当時)ら日本会議の人々から発せられたことは記憶に新しい。
 このことについて一橋大学田中克彦名誉教授が、「令和という、こんなラ音で始まる本来の日本語にはなかった発音様式は困った名づけだと思った」と本に書いておられるのは新鮮な指摘であった。(ロシアと遭遇した日本は「おろしゃ」と呼んだし、ハンガリー語では今も「オロス」らしい)

 私は『漢字は日本語である』小駒勝美著の論を支持するから、そもそも元号が漢字であっても漢籍に基づくものであっても構わないと考えているが、上の指摘は、テレビなどで「日本由来だ、日本由来だ」と政権に見苦しい程忖度してよいしょをしたコメンテーター等が如何に薄っぺらであるかを指摘していて痛快であった。

 改元時に書いたことだが、万葉学者は「当時の梅はあこがれの中華文明の典型」「今流にいえばバタ臭い樹」だったと指摘しているから、どうでもいいようなことだが、「令和というのは日本的でよい」とはしゃいでいる人々は少しは落ち着いた方がよいと思う。【明日へ続く】

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