無線長だった久保山愛吉氏は約半年後の9月23日に「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言して死亡した。
被曝した日本漁船は数百隻、被曝者は2万人を越えるとみられているが、多くは強大な戦後史の闇に閉じ込められた。ビキニ環礁周辺の人々も同じである。
第五福竜丸はSOSを発することなく静岡県の焼津港に帰港したのだが、その理由も、帰港前にSOSで被曝を発表すると米軍に撃沈されると判断したためであった。
予想どおりというか、久保山氏の死を日本人医師団は「放射能症」と発表したが、アメリカ政府は現在まで「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けており、この件に対する明確な謝罪も行っていない。
小学校では「マグロを食べたらあかん」「雨に直接濡れたらあかん」と教えられたが、街の大人たちの中には「それぐらいで弱ったらあかん」という精神主義がまだ残っていたので、児童たちは粋がって、知って雨に濡れたりした思い出がある。そもそもSNSどころかテレビもない時代で、報道は非常に抑圧されていた。
それから67年が経過し、国際的には核兵器禁止条約が成立したが、久保山氏の願いに逆らうように菅自公政権は条約の批准に後ろを向いたままである。報道の抑圧も再び同時代に戻ったようなありさまという一面もある。若い日、焼津の久保山氏の墓前祭に参加したが、当時はこれほどまでに世の中が停滞するとは思わなかった。故に、野党共闘による政権交代は喫緊の課題であろう。
「日本政府は核兵器禁止条約を批准せよ!」。今日ぐらいは?SNSや何らの方法で一人一人が声をあげようではないか。そして若い世代にこの事実を継承しようではないか。今日は3.1ビキニデーである。
記憶を覚ませ今日は3,1ビキニデー
今の世の中、愚劣極まる自公+維新政治に「どうしょうも無い」と吐き捨てて眼をそらしてしまいがちですが、かって平和行進で炎天下を歩いた日の事、大阪に革新府政を実現させたこと等を思い出し、諦めるまい、とこのブログ記事で思いました。去年はコロナ禍の中で住民投票で大阪市を守りぬいた!ではないか、と。
返信削除3月1日、今日は山田内閣広報官が辞任しました。国会とSNSの力が大きかったと思います。声をあげれば世の中も変えられる。冷笑はいくら面白がっていても何も生まない。コロナだ歳だという前にできることを考える方が楽しいと思います。ひげ親父さんのコメントに賛成。
返信削除