2021年3月17日水曜日

粥食賛歌

   一昨日はシルクロードはサマルカンド近郊のソグド王の離宮の発掘報告を書いたが、発掘調査の日本隊隊長でもある講師の宇野隆夫教授は、現代風にわかりやすくいうと主食は粟粥(あわがゆ)であっただろうと講座で述べられた。

 私は、ざっくりとしたイメージで中央アジアのそのあたりはインドのナンのようなパンを食べていたのだろうと何となく思っていたので、粥という指摘が新鮮なうえ、日本の文化といっぺんに近づいたようでその指摘が記憶に残った。

 そのオンデマンド配信講座受講の数日後に私はテレビで東大寺二月堂お水取りのライブを見た。NHKは政治経済では政権に忖度してその報道内容が歪んでいることが多いが、こういう文化的な放送のレベルはすばらしいものがある。撮影スタッフは1か月も前からコロナ対策の隔離生活で撮影に臨んだという。さらに、この行(ぎょう)の大半は漢文のお経などであるので、それが文字のテロップになったり、さらにいわば現代語訳がテロップになって、すばらしい記録になったと私は思っている。

 そのライブ(つまり1日の行)のほゞ終わり近くで、突然『粥食呪願』というのが出てきて、偈頌(げじゅ)とでもいうか、要するに粥食を讃える詩が朗読されたので、私は面食らって驚いた。儀式の継承という意味では日本仏教の原点中の原点ともいえる修二会の中に粥食賛歌があったのだ。

 昨日の修二会の記事では、桁違いの炎の秘儀の向こうに私はユーラシアの拝火教(ゾロアスター教)を見たと書いたが、ソグドの王宮の食糧倉庫発掘の成果から、王様の食卓の主食は粟粥だったという発掘隊隊長の講義と粥食呪願がオーバーラップして、さらに私は修二会の国際性を噛み締めた。

 余談ながら、大和や河内の伝統食に茶粥がありそれは今も残っている。茶粥がストレートにサマルカンドまで遡るとは思わないが、こんな話も聞いたということを思い出しながら食べていただければ幸いだ。

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