帝塚山大学の『研究成果報告会』である『シルクロード・王様の食卓』をオンデマンドで受講した。
これまでだと同大学東生駒キャンパスまで行かなければならなかった(当たり前だ)が、今回はコロナ騒動でオンデマンド配信になった。個人的には楽であったが、雰囲気はやはり物足りない。
テーマはウズベキスタンのサマルカンドの東南約30㎞のカフィル・カラ城跡の発掘調査の研究成果である。そこはイラン系民族のソグド王タルフンの離宮で、710年にアラブ勢力に攻められ焼け落ちた跡と考えられる。
ちなみにその当時の日本はというと、661年に斉明が新羅征討に発進。同年に斉明没。663年に天智(称制)白村江大敗。667年近江大津宮に遷都。672年壬申の乱。686年天武没。694年持統藤原京遷都。710年元明平城京遷都。なのでほゞ藤原京の時代となる。
サマルカンドは文字どおりシルクロードの要衝の大都市であった。大雑把にいえば、東に行くと中華、西に行くとギリシャ・ローマ、あるいはメソポタミア・エジプト、南に行くとインダス・さらにはガンジス等々の文明の大交流点だった。なので、同地では以前にゾロアスター教の板絵が発見されていたし、仏教は南からここを通って東は飛鳥、藤原、奈良の都まで到達した。さらに710年にカフィル・カラが落城した後はイスラムの地となった。余談だが先日記事を書いてきたアフガニスタン、パキスタンはすぐ南になる。
想像図がネットにあった |
甕の状況や炭素等の付着状態から、ワイン、オリーブオイル、蜂蜜、麦、アワ、豆、ニンニク、胡桃などと推定される品々があった。既発掘のゾロアスター教の宴会の板絵などからして、豪華な王様の祝宴が想像される。楽器の琵琶や竪琴は正倉院御物とそっくりだし金冠は藤ノ木古墳出土のものと似ている。
毎年秋の正倉院展では我われは唐の長安のそれを想像するが、それは遥かユーラシアの文化であるものも多い。漢字文化、中華文化の影響は大きいが、眼は大きくユーラシアに見開かなければならない。
講師の宇野隆夫客員教授(日本隊隊長)の、「北野天満宮前の澤屋の粟餅を是非食べて、ソグドの王様の食卓を想像されたい」とのお話が一番印象に残った、と言ったら受講態度としては叱られるかもしれない。
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