初期のインドでは仏像は無かったといわれており、東西文明の結節点ガンダーラ地方で仏像は生まれたといわれている。つまりサマルカンドなどの中央アジアの都市は仏教をはじめとする文化の単なる通過点というよりも、新しい文化を生んだり成長させた文化の故郷、揺籃の地でもある。
そこでアラブのイスラム勢力に焼け出される以前のサマルカンドを見ると、古代イランの国教であったゾロアスター教が浸透していたうえに、西方からのギリシャの神秘主義、キリスト教、ゾロアスター教などが混淆したマニ教が多いに広まっていた。そういう文化に育てられて仏教は東に進んだと見なければならない。
写真のカンテキで真っ赤に燃やした鉄粉を撒く |
NHKのゲストの夢枕獏氏は「縄文の記憶を見た」とコメントされた。縄文の火焔型土器を作った精神文化を思われたのだろう。そして私は即、西域のゾロアスター教(拝火教)の残り火をそこに見た。初期の仏教はバラモン教的なものを脱して仏像さえも持たない哲学的なものであったらしい。それが世界宗教に拡がったには、高尚な理念を抑え、ある種の俗化も必要だったのではないかと私は考えている。日本において神仏習合を進めたように。そういう風に中央アジアでもってゾロアスター教の拝火の儀式を取り入れるような形で東進したのが、達陀の行法に残っているのではないか。また別のルートでは、真言密教の護摩祈祷に残っているのではないだろうか。ゲストの東大寺森本公誠長老も少し触れておられた。
大仏開眼供養の導師がインド僧の菩提僊那であったことからも、日本仏教の源流を狭い中華文明に求めるべきではないように思った修二会の達陀の行法だった。古都奈良というと古臭いイメージがあるかもしれないが、京都の祇園祭にペルシャ絨毯があるように、ある意味それ以上に古刹などは国際的な香りがするので、「鹿以外に何もない」などと言わずゆっくり古都を散策してみては如何だろう。
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