私は知らなかったが、澤屋は創業以来330年以上の老舗らしく、昭和44年京都府開庁100年記念の際に「百年を超えて伝統を守っている」と蜷川虎三知事から表彰された表彰状が飾ってあった。
そしていかにも老舗らしく、注文を聞いてから作るのには驚いた。撮影してもよいというので撮らせてもらった。いわゆる甘味処として北野天満宮参拝後などに一休みできるお店だが、私たちはお店では食べず、孫たちのファミリー用も足して3箱をテイクアウトで持ち帰った。 粟を含む五穀の料理は、奈良市の南ハズレのその名も『清澄の里 粟』というレストランで戴いて知ってはいたが、ここ澤屋の粟餅は格別に美味しかった。
さて、私は堺のど真ん中で育ったので農業のことは全くの門外漢だが、こんなおいしいものがどうして「雑穀」扱いなのだろうか。雑穀というと小鳥の餌か、飢饉のときの最終的な食物のイメージを持ってしまう。わが家では時々「十何穀米」などを入れてご飯を楽しんでいるが、これも米に混ぜるわけだから主食とは言い難いし・・。
考えるに、水田の稲作と違って畑作は基本的に連作障害が出るものの通常は輪作などで対応できるから、これが決定的な米との差別化の理由とは思えない。結局、大化の改新後の租庸調で、租の基本が米と定められたからだろうか。ちなみに中国の華北の租の基本は粟であったらしいが。
考古学・歴史学者の故森浩一先生は「715年、元正天皇が陸田(はたけ)にはムギとアワを植えよ。アワの重要なことは伝統だぞと詔(みことのり)をしている。多くの歴史学者は雑穀の文化史を見落としている」(『日本の食文化に歴史を読む』など)と指摘されていた。とすれば、徳川時代の米本位制が雑穀軽視の主因だろうか・・・。
サマルカンド郊外カフィル・カラ城の王さまの食卓から澤屋の粟餅まで話は旅をした。
「講義の内容を自分自身の眼で確かめたのはさすがだ!」と言われるよりも、「講義の端を聞いただけでわざわざ買いに行くか? いかにも大阪のイッチョカミよ!」と笑い飛ばされるがオチだろう。でも美味しかった。行った甲斐は十分あった。
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