毎日新聞の記事が立派なので、参考資料として以下に記録しておく。
◆ 表現の不自由」考 ◆
「従軍慰安婦はデマ」というデマ 歴史学者、吉見義明氏に聞く 会員限定有料記事 毎日新聞2019年8月15日 05時00分(最終更新 8月15日 15時14分)
危機である。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で、従軍慰安婦問題を象徴する
少女像などを展示した企画展「表現の不自由展・その後」が中止された一件だ。表現・言論の自由が脅かされる現実もさることながら、「慰安婦問題はデマ」という発言が飛び交う世相も相当に深刻だ。慰安婦問題研究の先駆者、吉見義明・中央大名誉教授と史実をおさらいした【聞き手・吉井理記/統合デジタル取材センター】
事実と違う河村市長発言驚きました。
大阪市の松井一郎市長のことです。「慰安婦問題は完全なデマなんだから。軍が関与して強制連行はなかったわけだから。それは一報を報じた朝日新聞自体が誤報と謝罪しているわけだから」(5日、記者団に)と発言しました。名古屋市の河村たかし市長も「強制連行し、アジア各地の女性を連れ去ったというのは事実と違う」(5日、記者会見)と言っている。
事実認識が間違っているし、従軍慰安婦問題とは何か、分かっているとは思えない発言です。
歴史修正主義者の「手法」
朝日新聞が2014年に「誤報」としたのは、戦時中の労使組織「労務報国会」の職員だった吉田清治氏(00年死去)の「軍隊とともに朝鮮(現韓国)の済州島で慰安婦狩りをした」という証言に基づく報道のみです。
私自身、慰安婦の徴募などへの日本軍の深い関与を史料で裏付けた1992年の「従軍慰安婦資料集」(大月書店)の解説でも、95年の「従軍慰安婦」(岩波新書)でも、最初から吉田証言は採用していません。
一部の誤りを取り上げ、慰安婦問題全体をもなかったことにするのは、歴史修正主義者の典型的な言説です。 日本政府に損害賠償の支払いを求めて訴訟を起こした韓国人の元慰安婦ら。2004年の最高裁判決で、賠償請求は退けられたが、詐欺や脅迫によって慰安婦にさせられたことなどが認定された=東京都千代田区の東京地裁で1992年6月1日慰安所とは
では、まず慰安婦が収容された慰安所はどんな性質の施設だったのか、確認しておきましょう。
慰安所は、32年の上海事変以降、兵士の強姦(ごうかん)防止や性病予防のためといって設置されはじめました。特に日中全面戦争が始まった37年以降は、日本軍による強姦事件が相次いだことから、大量に設置されていきます。アジア太平洋戦争開戦後は、東南アジア・太平洋の各地にも慰安所は広がりました。
陸軍の場合、最初は現地の軍が中央の承認を受けて設置する形でしたが、42年になると、陸軍省が自ら設置に乗り出します。つまり軍が設置・維持の主体だったのです。経営は業者がする場合もありましたが、管理・統制はいずれも軍が行いました。
設置も軍、管理も軍、利用も軍……
では慰安婦はどのように集められたか。おおよそ三つの形があります。①軍が選んだ業者が、女性の親族にお金を貸す(前借金)かわりに、女性を慰安所で使役する「人身売買」②業者が酒席の世話係とか、看護婦のような仕事だなどとだまして連れて行く「誘拐」③官憲や業者が脅迫や暴力で強制連行する「略取」――です。
植民地である朝鮮半島では①や②が多い。③は、中国や東南アジアなどの占領地で官憲による強制連行が行われたことを示す裁判資料や証言があります。
「慰安婦問題は業者がやったことだから軍、つまりの国の責任はないじゃないか」と言う人がいます。でも考えてみてください。そもそも、軍が慰安所制度を作ったんです。管理・統制も軍です。利用するのも軍人・軍属だけです。女性たちも、軍が選定した業者が軍の要請で集めたのです。
さらに見逃せないのは、①~③で人を国外に連れ出すことは、当時も今も犯罪行為(刑法226条違反)だということです。
業者が連れてきた女性はまず、慰安所に入る前に兵站(へいたん)部や憲兵が、どういう経緯で来たのかを調べます。この時点で軍は①~③を巡る犯罪行為を把握したはずですが、不問に付して、慰安所に拘束した。さらに言えば、女性は軍用船などで戦地の慰安所に送られましたが、これも軍の許可が必要です。
こうした点を見れば、日本の責任は明らかではないでしょうか。
毎日新聞社が所蔵する「兵站司令部の慰安所規定」の写真。「サック使用セザル者ハ接婦ヲ禁ズ」の文句も見える兵士による強制連行も 朝鮮半島以外の、中国や東南アジアでは①、②のほか、③の軍による強制連行もありました。中国でも山西省や海南島で女性が日本軍兵士らに拉致されたことは最高裁で事実認定が確定していますし、インドネシアでもオランダ人女性が官憲に強制連行され、軍の慰安所に入れられる事件があったことが確認されています。フィリピンでも軍による強制連行を訴えて、元慰安婦の女性たちが裁判を起こしています。
新聞広告を読めたか
では自由意思で慰安婦になった人はいるのでしょうか。朝鮮では、少数ですが「慰安婦募集」の日本語の広告が現地の新聞に出たことがあります。ただ、当時の朝鮮の女性の識字率は8%(30年朝鮮国勢調査)だし、経済的に貧しい家庭の少女たちが、新聞を読むことができたか疑問です。広告は業者向けと見る方が合理的です。
ただ、私は強制連行の有無など、女性はどのようにやって来たのかということは副次的な問題で、核心は女性が「性的奴隷」としか呼べない状況に置かれたことだと思います。
奪われた「四つの自由」
なぜなら、軍の慰安所規定や元慰安婦の証言などから、慰安婦には少なくとも「四つの自由」がなかったことが明らかだからです。
まず「外出の自由」です。慰安婦は軍の監視下に置かれ、許可がなければ外出できませんでした。逃亡を防ぐため、許可を得て外出できても監視役がついていた。許可がなければ外出すらできないのを「自由があった」とは言いません。
二つ目は「居住の自由」です。女性たちは慰安所の中で生活しなければなりませんでした。
三つ目は「廃業の自由」です。契約年限を終えるか前借金の返済を終えるまで、やめたくてもやめられなかった。さらに軍と業者の廃業許可も必要でした。軍が許可せず、慰安所に留め置かれたケースもあります。
最後は「拒否の自由」。元慰安婦は、兵士との性行為を拒否できませんでした。拒めば兵士や業者に暴力を振るわれることになる。言うまでもなく、性行為の強要は強制性交(強姦)です。
以上はどれも基本的人権に関わる自由ですが、これらが奪われていたのです。奴隷状態と言わざるを得ません。付言すれば、慰安婦には強制的な性病検査がありました。
これも女性の人権を侵害するものです。
過去の価値観でも「奴隷」
「慰安婦は報酬をもらっていたからいいじゃないか」という声もあります。実態は、衣服代や日用品代、化粧品代などが法外な値段で借金に加算されていき、ほとんどお金が残らないことが多かった。
当時の日本に公娼(こうしょう)制度があったことから「慰安所と遊郭の妓楼(ぎろう)は同じようなものだ」とか「現在の価値観で、過去を断罪するのはおかしい」といった声もあります。
基本的自由が奪われていたという点では軍慰安婦と娼妓には共通点がありますが、慰安所は軍が設置し、管理し、軍人・軍属専用だったことが、まず民間の妓楼と違います。
そもそも、「現在の価値観で……」と言いますが、戦前も「公娼制度は事実上の奴隷制度だ」として廃止を求める「廃娼運動」がありました。私の新著「買春する帝国」でも触れましたが、何より内務省警保局自身が、35年9月に「公娼制度対策」と題して作成した廃娼案の中で「事実上、奴隷にも等しき娼妓」と言っている。当時の価値観でも、「公娼制度は許されない」という認識があったのです。
「おとしめる」のは誰か
慰安婦問題とは、強制連行があったかどうかとかいう問題ではなく、日本軍が女性の自由を奪い、性行為を強制したという女性の人権問題そのものなのです。だから世界の人たちが厳しい目を向けているんです。
こうしたことを言うと「反日」「日本人をおとしめるな」などという言葉を投げら
れます。これは逆ではないでしょうか。負の過去は見ない、事実と向き合わないことこそ、日本をおとしめる行為だと確信しています。
事実を見つめ、反省すべきは反省し、近隣諸国と深い信頼関係を築くことこそが、私たちのためになる。だから私は研究を続けているんです。
中央大名誉教授の吉見義明さん
よしみ・よしあき
1946年山口県生まれ。東大卒。専攻は日本近現代史。91~92年、防衛庁防衛研究所図書館で、従軍慰安婦の徴募や慰安所の設置・管理などへの日本軍の深い関与を示す資料を発掘。これにより日本政府も政府としての責任を公式に認めた。著書に「草の根のファシズム」「日本軍『慰安婦』制度とは何か」「毒ガス戦と日本軍」「焼跡からのデモクラシー」など。近著に「買春する帝国」(岩波書店)。