2019年8月28日水曜日

下重さんの俳句

 27日に、見るともなく『徹子の部屋』の下重暁子さんを見ていたら、徹子さんと共通の趣味の俳句の話になり、下重さんのビギナーズラックのような初期の俳句が披露された。
    疎開列車夕焼に描く地獄変
 下重さんは、夕焼けを見て大空襲を思ったのだと語った。
 その思いもよらなかった連想に私は考え込んだ。
 戦後世代の私たちは、記録としての戦争を知ったかもしれないが、夕焼けの向こうに大空襲を感じる感覚をほんとうに引き継いだのだろうか。

 「戦後世代の責任論」というテーマでは多くの著作もあり説もある。
 その中では、私は内田樹氏の次のような文章に理屈でなくても納得できる。
 ■ 俺が始めたわけでもない戦争の責任をどうして俺が問われなくちゃいけないんだって、本気で思っている人たくさんいますから。でも、国民国家ってある種の連続性があるもので、連続性がないと立ちゆかない。「戦争したやつらが悪いんで、俺は関係ない」とは言えない。・・韓国で・・こちらがていねいに謝罪すれば、ほとんどの場合「いや、あなたが韓国を占領したり、戦争をしたわけじゃないし」ということで話は終わるんです。「おう、だったら誠意を見せろよ、誠意」というようなヤクザのようなことを言う人なんか僕は一度も会ったことがない。・・僕は自分は死者たちの身内だと思っているから、死者が犯した罪や借財は「自分の債務だ」と思う。

 確かに戦争世代は多くを語らずに多くは鬼籍に入った。
 それは、自分たちの犯した罪の露見を避けて口をつぐんだと言えるかもしれないが、善意に解釈すれば、自分たちの世代の芥は自分たちが地獄までもっていくから、次の世代はさっぱりと明るく生きてくれという親心だったかもしれない。
 しかし、それが通じるのは国内のみであろう。
 私が労働組合青年部の役員であったころ、東北で酒を飲んで交流していたら、会津の青年が「〇〇県は裏切った」などと言って、戊辰戦争の恨みを昨日のように語るので驚いたことがある。
 やられたものは忘れないものだ。それが普通だ。
 結局、現代日本の問題点はそういうことの想像力の欠如かもしれない。
 夕焼けが大空襲に見えたときがあったのだ。

4 件のコメント:

  1. 徹子の部屋、私も見ましたよ。人生の先輩たちの声は重い。もっともっと聞きたい!

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  2. 徹子の部屋、私も見ましたよ。人生の先輩たちの声は重い。もっともっと聞きたい!

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  3. 徹子の部屋、私も見ましたよ。人生の先輩たちの声は重い。もっともっと聞きたい!

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  4.  ケンタさん、いろいろなアプローチをありがとうございます。ははは。

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