下賀茂のとあるキッチンでランチを食べていると、隣の大学生と思しき女性二人の会話が聞くともなく耳に入って来た。
「戦後の学問を担ってきた学者や研究者が次々に亡くなっている」「理解のない遺族の場合、”ゴミのような”蔵書を二束三文で”始末”するので、この頃お宝が多い」と。
なかなか的確な評価である。そして、私の蔵書もそうなっていくのだろうなあと可笑しくなった。
「何が納涼だ!」と八つ当たりしながら「下鴨納涼古本まつり」に行ってきた。
『雲南——日本の源郷』という大型本など昭和58年時定価9500円が500円というような調子で、気が緩めば買いすぎるから、立ち読み感覚で遊んできた。
「熱中症で死亡するから老人は冷房の入った室内で静かにしておれ」とテレビが言うものだから近頃はロコモティブ症候群一歩手前になっていたから、リハビリのつもりで行ってきたのだが、やはり熱中症寸前のヘロヘロの状態で帰ってきた。
私は奈良の餅飯殿あたりの古書店をよく覗くのだが、やはり京都の「古本まつり」は安い気がする。
しばらくは冷房をかけた部屋で「日本の源郷——雲南」の写真などを見ながら浮世離れをした思索にふけようか。
それが私の夏休み。一休み、一休み。
毎日感心しながら読ませていただいております。ペンが進む要因の一端を見た思いです。
返信削除下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる!で、恥を忘れて書いています。
返信削除SNSは習うより慣れろという感じでいます。
コメントありがとうございます。