2011年4月20日水曜日

浜通り はるか

 今では関西の人も「福島県浜通り」という地域名称を知るところとなったが、少し前まではそうではなかった。
 判りやすく言えば「東北本線が中通り」「常磐線が浜通り」である。
 私は40年近く前、その常磐線沿線に住んでいたから「会津」や「中通り」に比べて「浜通り」には親近感が染み付いている。

まだ見ぬ孫に伝えておこう
塩屋岬灯台下の
お祖母ちゃんとお父さん

浜通りの海はきれいだった
   乗換えナシで行ける「いわき駅(当時の駅名は「たいら」)」は極めて近い東北の玄関口(という言い方も東京中心主義ですが)で、文字どおり「浜通り」なもので、塩屋岬を眺めながらの海水浴にも便利だった。
 塩屋岬はその後美空ひばりの「みだれ髪」で超有名になり今は歌碑が立っているらしい。

 先日来の天災と人災は、私にとっては遥かな思い出が痛々しく変化するだけだが、地元の人々の絶句するしかない辛さを応援できる言葉を私は知らない。「浜通り」の支援と復興に遠くから微力を尽くすだけである。

 なお、いわき市は北部が30km圏にある。
 いわき市のHPには「がんばっぺ!いわき」を合言葉にしていると書いてあった。

2 件のコメント:

  1.  今日堺市立文化会館で「与謝野晶子 生涯と作品」常設展が開かれていることを知り、「君死にたまうことなかれ」で前々から知りたいと思っていたことが今でも知らないままだと気付き、行けばわかるだろうと行って来た。
     知りたかったのは、弟が戦死したかどうかと言うことと、この時代は徴兵制ではなかったのでは?と言うことです。
     何やしょもなと笑わんといてな!常設で断続的開催されるようなのでこの際少し勉強してみようかてなことを考えていますがどうなることやら・・・・

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  2. 私は中学校時代、精一杯ニヒルに突っ張って生きていました。担任の国語の先生は型破りの熱血先生でした。ある時、晶子の歌の朗読を求められ、その時に突っ張るのを忘れて心を込めて詠ったのを、先生を含め皆が驚いたのを今でも憶えています。その時は表面的な解釈以上の理解は出来ませんでしたが、この歳になりやっとわかることもあるのですね。海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女(をとめ)となりし父母の家。

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