2011年4月12日火曜日

一流の職人は一流の道具を選ぶ

 若草山の麓に刃物の店が2軒あるのは有名で、全国の教員の間では、修学旅行で生徒を休憩させている間に自分の土産の包丁を買い求めるべし・・との「校訓」の伝承があるらしい。

 江戸落語にもなっている名刀(御物)「小烏丸」の流れをくむ「大和伝」(大和流の刀剣)の後裔というか、菊一文殊四郎包永と三條小鍛冶宗近という2軒のお店で、お能の「小鍛冶」は京のことであるが、後に奈良に移ってきたのが後者の店。(こういう話に直に御物やお能が出てくるのが奈良の歴史の深さだろう)

 しかし、現代の圧倒的なプロの料理人が愛用する堺の包丁と比べると、申し訳ないが昔はいざ知らず今は土産が似合う刃物かもしれない。(決して粗悪だというのではなく、超一流といえる堺に比べたら・・ということ)

 えへん、私は「堺石藤」の包丁を使っている。 ・・といっても年とともに怠惰になり、ほとんど研がないものだから、茅渟の海氏に「この包丁で料理しているとは余程(料理の)腕がよい」と冷やかされた次第。(本物の包丁は本物の手入れが必要・・ハイ)

 そして何を隠そう、今現在、お刺身等に愛用しているのは「京セラ」の名刀である。残念ながら切れ味は悪くない。これは、京阪奈の歴史と文化を語る  yamashirodayori では、あまりバラしたくない恥部である。

姿かたちに味はないが、その技術水準はすばらしい。

5 件のコメント:

  1. 先日の日曜日、薬師寺で開催された「宮大工、西岡常一棟梁の遺徳を語り継ぐ第10回木魂会」に行きました。その中での「奥村彪生氏」の「奈良時代のグルメマン長屋王の食卓」講話が面白かった。・・この前段の長たらしいブラインドタッチで疲れました。・要するに!・・前からこのような会に参加して思っていましたが奥ゆかしい?話の中でも「奈良」の人が「京都」に対する「対抗意識??」を感じて一人笑いしています。・私は・・「奈良」の応援団席で旗を振りまする。

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  2.  楽しいコメントに謝意。そして、驚いたことはスノウさんがブラインドタッチであったこと。私は基本的に視認したまま右手の指2本位でしか打てません。「それでよくもブログをやってますなあ」と呆れられても本当です。「不器用も極まれり」と自覚しています。

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  3.  西岡棟梁の「木に学べ」という本の中に「日本の資本主義というやつは、飽くなき利潤追求ですわ。もうちょっと適正な利潤を追求するように改めないと」という名言があります。ルールなき資本主義の現在に喝を入れる言葉です。
     奥村彪生さん、土井勝さんの一番弟子で、最近はTVにはあまり出ませんが、その柔らかい語り口とダジャレ、「今晩のおかずはコレで決まり!」という決めゼリフとポーズが面白かったです。でも本質は伝承料理研究家という真面目な方で著書もたくさんあり、以前、講話会でサイン入りの本を買いました。

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  4.  肥後の守を、知っていますか?小学生のころ何時もポケットにいれて鉛筆を削っ足り、遊び道具を作ったりしたのが肥後の守で、折り畳み式の小刀で当時は宝物で研いでは使いを繰り返し大切にしていたものです。 ところで肥後の守は熊本で作製されたものとばかりつい最近まで思っていたが、実はそうではなかったことが数年前にテレビを見ていた時に埼玉県か群馬県で作製されていると紹介されていた。  何れにしてもつい最近まで熊本で作製されていたと思っていた原因は「あんたがたどこさ肥後さ肥後どこさ熊本さ・・・」という歌の文句からの思い込みで、肥後の守が熊本で作製されたものとばかり思って現在に至っているとは、トホホ・・・  
     肥後の守が埼玉県か群馬県で作製されていると言うことも確かなことではなく、関東のどこかの県で作製したもの物を、地元の小学生だか中学生に送って正しい使用方法を知ってもらうことを目的としているとのことでした。

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  5.  興福寺等の南都の大寺院・大神社は別の側面から見ると大地主(荘園主)であり金貸しであり武士も顔負けの暴力(武装)集団であったわけで、その武器を提供していたのが奈良刃物であったらしく「刀、槍、薙刀」等を作っていたが、その後は土産の「仕込み杖」「小刀」が主流になったらしい。そして「小刀」が壊滅的ダメージを受けたのが教育ママ的「肥後の守禁止運動」と言われている。なおCWニコル氏などは「子供にはナイフを経験させろ」と強く批判している。「肥後の守」の由来等は子供の頃はもちろん知らなかったが、三木市の会社の登録商標らしいですね。もちろん私は知らなんだ・・・・・

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